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2006年1月 5日

2006年 打ち初め式 ~火のありがたみ~

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松山町の正月恒例行事 法華三郎信房氏の打ち初め式が松山町文化丁の法華三郎信房・刀匠の工房で午前10時より、町の関係者、法華三郎信房後援会会長、副会長、一般来場者、マスコミの人達の見守る中、羽黒神社足立宮司、法華三郎信房氏、栄喜氏の入場で打ち初め式は厳かに始まりました。

今日の松山町午前中の天気は、晴れでした。

いつもの松山町の正月恒例行事 「打ち初め式」は、小雪舞い散る中で執り行われることが殆どでしたが、今日は、雪なしの冬の晴天の中で行われました。

二十四節気の小寒の頃の行事で、法華さんの打ち初め式を耳にすると年が改まったことを実感します。

今日も足立宮司の祝詞の声が工房に響き渡り、古式ゆかしき儀式が静かに進行して行きました。

神様をお呼びする儀式から始まる降神の儀、祝詞、奏上、玉串奉天、そして法華三郎信房、栄喜親子により、たがねをたたいて火をおこす、採火、火入れ、第一追、鍛錬、そして昇神の儀で、打ち初め式は終わりました。

この打ち初め式の行事は、神様に火になってもらって刀匠が一年間の仕事を始める為の儀式だそうです。(法華三郎信房氏 曰く)

これらのことは、日本古来から伝わる伝統行事そのものです。

日本人の原点そのものを見る思いです。

人間の起源は 「火」からと言っても過言ではありません。

「火」に対する畏れは、人間性の現れでした。

ですから今日の打ち初め式でも足立宮司が火の神様に、刀匠法華三郎信房氏の工房に降りてきて頂き、火がついた後には、又、神様に戻って頂く為の儀式を、仰々しく行ったわけです。

現代人の生活様式の中では、すっかり失われたものが、法華さんの工房では生き続けていました。

だからこそ取材の価値もあるのだと思いました。

このような儀式を年に1度、目の当たりにするだけでも、普段は意識せず忙しさに追われて暮らしている現代を生きる我々は、古い伝統文化に触れ、そこから日本人としてのルーツを思い巡らします。

縄文、弥生の頃の人間達は、火を畏れていました。その中に、神の存在を見ていたのだと思います。

大いなる者を畏れ、敬い、崇めて日々を送っていたのだと思います。

そして火で暖を取ることを覚えた先人達は、どんなにかありがたく思ったことでしょう。

この時代の人達の心の中には、確実に神が存在していたのだと思います。

法華さんは、私達とおしゃべりをする時、良く「火の神様が、、、」という言葉を使いますが、いつも、人間としての原点を考える事を生業にしている人だけに普通の会話の中にもごく自然に出てくる言葉なのだろうと思いました。

伝統文化を継承することの難しさ、大変さは想像以上かも知れませんが、今の時代に、日本人の見失いそうな大事な心が生き続けている貴重な世界ですから、今後も大事にしながら、後継者に伝えて行って頂きたいと思いました。

昨日までの雪が降り積もった法華三郎さんの庭は、静かに伝統行事が繰り広げられる様子を見守っていました。


今日のガンディーの言葉 「神が我々の心の中に秘められているならば、我々は悪しき考えを留めらせたり、悪しき行為をする事は出来ない。」

投稿者 jizai3 : 2006年1月 5日 12:06

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コメント

NHKのニュースでもきょうの打ち初め式の様子が放映されていまし
た。火は神秘的で幻想的なものですね。火は文化の源でもありま
す。水の神様と同様畏れを抱いて大切にしなければいけないものと
あらためて思いしました。

投稿者 kaz : 2006年1月 5日 20:13

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