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2006年1月16日

松山町の歴史の重み・これからの松山町の元気の源

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上のブログ写真は、昨年12月屋根の修復を終えた石雲寺茂庭家霊屋 1月16日御霊屋開帳の様子です。扉の奥には、初代佐月良直公、二代石見綱元公、三代(松山初代)佐月良元公の木彫りの像が安置されています。下の写真は、雪解けの松山球場の様子です。月曜は、室内外での練習日です。

今日は、冬の龍門山石雲寺茂庭家御霊屋開帳の日でした。

昨年12月に屋根の修復を終えた御霊屋が雪をかぶり、正面の扉を開け、皆さんに見て頂きました。

茂庭家御霊屋は、県指定有形文化財建造物となっております。

松山町は、茂庭のお殿様を中心に栄えた城下町です。

松山町は、町を挙げて伊達家重臣、茂庭家が松山に開府して400年の記念行事を終えたばかりですが松山町の歴史は、茂庭家の歴史が源流となっています。

石雲寺境内には、県指定天然記念物コウヤマキ、町指定文化財薬医門、町指定茂庭家霊廟及び坐像群、町指定史跡文化財茂庭家松山当主及び妻の墓域など、多くの文化財が現存しています。

これらの事を回顧しただけでも、400年の歴史の重みを感じることが出来ます。

松山町は、近隣の市町村には見られないような歴史文化を背景にした町です。

現代を生きる私達が、これらの素晴しい歴史文化をどれだけ大事なものとして後世に伝承できるか、責務は大きいと思います。

茂庭良元公 松山開府400年の歴史を更に500年600年と積み重ねて行く事が「受け継ぐ」者の使命なのでしょうか。歴史の重みを決して堅苦しく考えずに 「ありがとう」 「お世話様」の心でこれからも次の時代の人々に優しく伝えてゆきたいものだと思います。

歴史文化を核として栄えてきた松山町は、今、松山高校硬式野球部の高校球児達を応援することで松山町民の心には、大きなうねりの渦が出来つつあります。

高校野球を応援することで昨年一年間は、町民の心が一つになりました。

松山高校硬式野球部員達の元気な挨拶が町を変えました。

今春「大崎市」になる町は、子供達の野球を応援する事でますます元気になりたいと思っています。

今日の松山球場は、雪融けで、ぐしょぐしょのグラウンドでした。部員達は、月曜日なので、監督宅のトレーニング室と、ギャラリーの構内で、筋トレ、スイングの練習などに汗を流していました。

自分に課した目標に向かい各自基礎体力づくりに励んでいました。

数多く練習したこと、数多く基礎練習をこなしたことが自信につながるのだそうです。

3月下旬からの練習試合に向け、こつこつと日々の練習に励み、練習の歴史を確実に積み上げています。今年も精一杯良いプレーを見せて欲しいと思います。

松山町の明るい未来の活力に大いに期待しています!!

今日のガンディーの言葉 「我々は、自分自身の運命の製作者である。」

投稿者 jizai3 : 2006年1月16日 18:04

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コメント

今までの松山町に暮らす人々の歴史を物語る石雲寺茂庭家霊屋、そ
して新たな歴史のページを開こうとしている野球場、絶妙な組み合
わせですね。

投稿者 kaz : 2006年1月16日 22:21

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