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2006年3月31日

大崎市松山総合支所開庁式

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今日は、午前中に旧松山町役場 今日からは「大崎市松山総合支所」となり、開庁式が行われました。
大崎市へ向けて大きく舵をきりました。テープカットが行われ、松山総合支所長K氏が緊張しながらも新しい大崎市の誕生を祝いご挨拶をしました。

今日の地元紙 大崎タイムスは「大崎市誕生おめでとう!!」の記事一色でした。

大崎市誕生の特集号が組まれ~大崎豊饒の大地から平成デモクラシーの幕開け~と命名し、一市六町が大同団結とありました。大崎地方一市六町、古川、松山、三本木、鹿島台、岩出山、鳴子、田尻が、今日、2006年3月31日合併して「大崎市」が誕生しました。

多少の困難を乗り越え紆余曲折の後、地方分権を推し進めて「平成の合併」を実現しました。

縦長のイタリアブーツ型の地形を有する七つの自治体が融合した県北の中核都市が誕生したことになります。新時代を築くのに相応しく豊かな自然環境、豊富な地域資源、交通基盤が整っている利便を持ち中心の古川インターを持つ高速道路にも恵まれ、東北本線をすぐそばにもつ田園都市の広がりなど、、、
宮城県の副県としての機能を果たすことも可能になり、東北の””ヘソ””になりうる大崎市の誕生と言えると思います。

新市 大崎市は、縮小版の日本列島といえると思います。

ここで暮らす人たちが、地域の七つの個性を大事にしながらお互いが助け合い、地域の七つの文化を大事にして豊かな自然・環境を守りながら、安心、安全を何より大切にして、大崎市民がニコニコして暮らすことが出来たら最高だと思います。

森と田んぼと水を大事にする共生を柱にする循環型の田園都市づくりを目指すことが、未来の子供達をすくすくと育て、心を育てる地域づくりにつながる最良の方法だと思います。

今回は「大崎市流の自治組織」も設置されるようですが、独自の取り組みが期待されてます。

ゆとりの無い中での船出ですが、強い行財政基盤を目指し、徹底した情報開示を行い、一日も早い健全な財政を目標に掲げてまずは自主財源の確保に努力し、知恵を出し合い、汗を流しながら、市民の一体感を増すことを大事に考えて大崎市民の大崎丸をスタートさせるべきだと思います。


船は動き出しました。後はキャプテンを決めて、更に大きく舵をきるときが近づきつつあります。

大崎耕土からの息吹を大切に考え、この大崎市を愛する人に未来を託したいと思います。


                         <お知らせ>

今日も一日寒い日だったそうです。
夜8時に大阪入りしたそうです。明日は和歌山県へ出かけるそうです。

          第一試合:愛知産業大学三河高校との闘い。  1:4で負ける。
          第二試合:同様、愛知産業大学三河高校との2回目の試合。 2:3で負ける。


今日のガンディーの言葉 「他を思う時、唯、自分自身を思うことさえ休止するだろう。」

投稿者 jizai3 : 18:18 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月30日

3月30日・春の雪

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今朝は、うっすら雪化粧の寒い朝を迎えました。ブログ写真は、小学校の新築校舎のそばに降った雪と学習塾 東塾のそばにうっすら積もった雪の様子です。日中は春の陽射しでしたが風は冷たく寒さが戻りました。明日も寒いとのことですが、体調を崩している人の話を聞きます。気をつけましょうね。

後二日で、4月が来るのに、お花見の話も聞こえる頃になったのに、、、今朝の雪には大変驚きました。

今日は、私達のカラオケ教室のレッスンがありました。

石巻からの会員さんは、「出がけに雪が舞い散ってきたのよ。もうすぐ4月なのにね。」と言っていました。

私達は「いよいよ明日には大崎市誕生で、松山町は今日でおしまいなのよね。最後に降る雪なのかしら。」などと言っていました。

今日の教室の会員達は、殆どが松山町の人たちですが「やはり松山町から、町が無くなるのは非常に淋しい事だわね。」と感慨深げでした。松山町は今日一日だけでとなりました。

明日は、記念すべき、一市六町合併の日 「大崎市」誕生となります。

「一市六町の束ね役は、大変だろうな。財政難だし、、、、大変な舵取りだから、誰がリーダーになっても大変だろうな。距離的にも縦長の地域で移動だけでも大変だから。」と言う意見が殆どでした。

松山町で生まれ育った人達には、『ありがとう。さようなら。』という複雑な気持ちがある事と思います。

私は20年間の松山町とのお付き合いでしたが、本当に心や安らぐ落ち着ける町でした。
とても良い町だったと思います。

この町に嫁ぎ、15年間学習塾を経営し、その後主人と二人で陶芸の店を経営することになり、今年6月で6年目に入ります。

主人は、「自主廃業の後、松山町で同所に~自在窯&ギャラリー~を開店する事が出来たのはこの町が自主廃業した自分に新たなチャンスを与えてくれて、敗者復活することを許してくれたこの町の度量の大きさのおかげだと思う。」といつも言っています。

今日、役場は明日の開所式の準備に追われていました。

今までの役場はこれからは、「大崎市松山支所」になります。

呼び名などが変更になっても殆どの事務手続きに変更はないそうです。

私は井の中の蛙でいるより大海を知り、その中でいろいろな悩みながらも、大きく成長する松山であってほしいと願っています。これからは、自分達の地域社会に対して無関心でいる事は出来なくなってくると思われます。努力できるか、工夫できるか、いろいろなことが地域住民に対して問われる時代に入ることと思われます。

その中で私達がどれだけ地域の中で自主的に動くことが出来るかが大事な地域の課題となると思われます。その為には自分の地域社会を見つめることから始めるのが一番地域を知ることだと思います。

良く知ってからみんなで考える、知恵を出し合い、汗を流す覚悟が求められます。

その覚悟をすれば、より良い地域社会の構築が可能になると思われます。

明日の新市誕生へ向けて、町民の真の関心はどこにあるのでしょうか?

一抹の寂しさがあることは本当ですが期待感も大切にしたいと思っています。

                        <お知らせ>

今日の松山高校硬式野球部の勝敗    第一試合 愛知県産業大学工業高等学校 7:9で負ける。
第二試合 大同工業大学大同康等学校 1:6で負ける。暗くなってきたので6回で終了だそうです。
          朝には雪が舞ったそうです。寒い寒い一日だったようです。


今日のガンディーの言葉 「人生は、死ぬまで毎日新しくなる。この知識は、我々、精神向上するよう手を差し伸べるべきである。」

投稿者 jizai3 : 16:07 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月29日

幼い子供達の可愛い散歩

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今日のブログ写真は、可愛い幼い子供達の散歩姿です。みんな元気に「コンニチワ。コンニチワ」と挨拶をしてくれました。松山町も少子化が進み、今年の新入学1年生のクラスは2クラスだけの1組と2組だけだそうです。私の時は10クラスの新小学1年生でしたのに、、、、、、。


今日も朝から強い風が吹き荒れていました。

久しぶりにA美容室に行きました。A美容室では可愛らしい女の子達がいつもお客さんを出迎えてくれます。月に一度お逢いする事が楽しみです。今日は下のお嬢さんが一人で出迎えてくれました。身長が伸びたようでほっそりに見えました。

とても純粋な瞳でしっかり私を見てお話をしてくれます。本当に「可愛いいなぁ」と思います。

お散歩中の子供達もとても可愛らしい表情です。

主人も「あのくらいの頃が一番可愛いな。もう少しすると、悪口を言ったり、生意気になるから。」などと言っていました。それでも孫は可愛いらしく顔を見るとついついお説教らしきことを言っています。時々孫から「じいちゃん、じいちゃんってお説教好きだよね。」なんて言われています。

それでも、関心なのは黙って主人の言うことを聞いています。陶芸家になってから、孫達はみんな主人の話に対して最後までじっと聞くようになりました。

以前はかなりうるさがられて、「分かった。分かった。」と遮られていたのですが、、、大きくなってからの方が耳を傾けるようになったようです。

私達大人は、子供達から嫌がられても、うるさがられても、駄目な事に対しては、毅然たる態度で立ち向かうことが大事だと思います。

注意しない大人が増えたことは大変残念なことです。

叱られないと分からない子供も結構います。良く「悪いことだと思わなかった。」という子供達がいます。

そんな時には「これこれこうだからこの行為はいけない事」とはっきり教えなければならない事も多くあります。大人たちの一貫性が大事になります。

幼い子供達に生活の中での善悪を教えてゆくのは、私達地域の大人たちの責任という自覚の元に、この可愛らしい子供達に接することだと思います。

この年齢の時にしっかりとした躾をすることが何よりも大切なことだと思いました。しかも、躾けの根本は家庭で行う事が一番良いことだと思います。


このように幼い子供達がすくすく育つように環境を整えてやることが私達の責務だと思いました。

これからは少子高齢化の本格的時代に突入しますが、いつも元気で知恵ある高齢者と、いつも明るく活発な子供達がくらす町が理想的です。

そして中高年は安心して仕事に精を出すということを真面目に行う事が出来たなら、問題山積み時代の
現況を何とか切り抜けられるのではないかと楽観しています。

日本は、今以上大変な時代を切り開いてきた歴史を持っているのですから、先人達から多くを学び、今日の散歩中の子供達をすくすく育てるには、、、どうすべきか大人たちは真剣に考えべきだと思いました。

幸いこの地域は後二日を残すだけで、3日目には「大崎市」が誕生します。

今この地域で暮らす人々は、大崎市のリーダー選びと、市議の人達を選ぶ時期にさしかかろうとしています。一人一人新市民になるべく人たちがどんな町づくりを考えるのか、『大崎市の原点』を凝視する良いチャンスと捉えて、あらためて自分達の地域を見つめたいと思っています。

現存の町には何があり、何を活かして町づくりを考えるのか?

地域住民のアイディアと、指導者の実践力がネックになりそうな気がしています。


しかし、どんな大変な時代でも「子供」を見つめる温かい心が人間社会を営む基盤になると思います。
一人一人の子供を大事にする社会は充分成熟した大人達が暮らす地域社会だと思います。

                     <お知らせ>

午後4時半、氏家監督より電話がありました。昨日のNTTグラウンドでの試合、青森百石高との闘いは、5:1で勝利したそうです。小林投手、柴田投手が投げたそうです。今日は、帝京大可児高との試合だそうですが、17:7で小林投手が完投したそうです。松高ナインは打ちまくったそうで監督が驚いていました。
帝京大可児高は、昨年地域の代表校になった強いチームだそうです。今日は監督のほうも風が冷たいそうです。「幸先良くて驚いています。」との事でしたのでご報告致します。

今日のガンディーの言葉 「親切で寛大であることが、神そのもの、慈愛である。」

投稿者 jizai3 : 12:47 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月28日

松高ナイン初の関西遠征

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今日、10時30分、大志寮前から松高ナインは、初の関西遠征へ向け、松山高校林崎校長先生の激励の言葉を受け、大型バスに乗り込みました。途中、NTTグラウンドで青森百石高との試合をし、極楽湯で汗を流しそのまま関西遠征へと出かけるそうです。みんな張り切り、明るく良い笑顔でした。

今日は、松山高校硬式野球部員達にとっては、初めての経験、関西遠征出発の日でした。

出発は、10時30分「大志寮」前からでした。

松山高校林崎校長先生の激励の言葉を受け、松高ナインは、張り切ってバスに乗り込みました。

松高野球部関係者、恵子夫人、氏家規夫後援会会長渡辺孝也先生、隣近所の住民達、私達、、、、に見守られながらの出発でした。

初めての経験に、子供達は多少の緊張はあるものの、とびっきりの笑顔を見せてくれました。

丁度、昨年のフルキャストスタジアムで見たような嬉しくての気持ちの方が、緊張よりも勝っているというような雰囲気でした。本当にみんな良い顔をしていました。

林崎校長先生の激励の言葉は短いものでしたが、大変温かく心がこもっていました。

今回校長先生も、教頭先生も移動が無くこの1年は、引き続き昨年力を入れて指導をしてきた学習を続けることが出来るし、本当の意味で、県立松山高校がこの近隣の県立高校の中にあって、「大崎市の県立松山高校」としての新しい土台づくりに情熱を傾けられる年度になると思います。

そのような意味から言うと、松山高校硬式野球部の新しい歴史が刻まれる記念の年になりそうな気がします。とにかく毎日良く頑張っています。

この春の遠征は関西勢との闘いになるわけですが、近くに甲子園がある子供達と、始めて甲子園球場を見る子供達とでは、感激の度合いが違うはずです。

大いに感激をして、高校3年間で、必ず甲子園を目指すという強い気持ちを抱いて「新市大崎市の松山」へ帰って欲しいと思います。

見たり聞いたり、実践を積んだりと色々な勉強を数多く経験して、その中から自分が本当にそうだと納得できる自分なりの感受性を大事にして、日々の練習に励んでほしいと思います。

若い時の充実感はその後の人生を左右するくらい大切なものだと思います。

大いに毎日を充実感いっぱいで過ごして欲しいと思うのです。

喜びの感激、楽しいと思う気持ちを存分に味わい、その上で、きつい事、辛い事も多いに経験し、尚且つ充実できる時間を多く持って欲しいと思います。


良い経験をして元気に明るい笑顔で松山に戻ってくることを祈っています。


今日のガンディーの言葉 「精神は、善良な人々の仲間がいなければ、干上がってしまう。」

投稿者 jizai3 : 13:45 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月27日

疲れた心を癒す田舎の景色・自然が最良のセラピスト

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「生活に疲れたら田舎の景色をゆっくりと眺めてみましょう。」というような文章を目にしました。今、良く言われている「勝ち組、負け組、大嫌い。」と言う言葉を使う人は、田舎の景色が大事と唱えます。自然は嘘をつかないし、人を選り好みもしないし、平等で美しく、しかも厳しいと話します。

シンガーソングライター、宮城県生まれの「みなみらんぼうさん」の言葉です。

彼は子供の頃、近くの栗駒山の栗駒おろしに向かって自転車を漕ぎ、学校に通ったそうです。
「何だ風、こんな風!」と叫びながら走ったそうです。栗駒山が闘争心を鍛えてくれたと話していらっしゃいます。

幼い時の栗駒山ふもとで暮らし、自然の力を見て生きた経験が、その後のみなみさんの生き方に大きな影響を与えてきたことを窺わせる文章です。

絵画などの芸術作品を見ることもお好きだそうですが、自然の絵筆にはかなわないとおっしゃっています。

昨日今日と松山町から田尻町、そして古川市へと連日出掛けましたが、つくづくこの景色の素晴しさを大事にして行く生き方をしなければと思いました。

みなみさんの文章の他にも、「心を解きほぐす生き方」とか、「ストレスをためない方法」「軽やかに生きるための生き方」、、、、、、、心の持ち方に関する記事をたくさん目にしました。

このことだけでも、いかに現代がストレスを受けやすい社会なのかが分かります。

「ストレスを良い刺激」としてとらえることも、長い目で見れば、重要なことかも知れないと言い、日本人は世界一ストレスをためやすい人種と、精神神経科の斉藤茂太院長先生はお話しています。

斉藤先生は、スポーツをし、旅行を楽しみ、その人だけにあうレクリエーションを愉しみ、食を喜び、笑顔でいることを心がけ、そしてぐっすり眠ることが大切とおっしゃっていましたが、私はそれにプラス、心落ち着く自分の好きな場所で、自分の好きな景色をリラックスして眺めることと付け加えたいと思いました。


今日の田舎の風景も素晴しいアングルだと思います。車窓からの撮影でしたが、私としては最高の出来だと自負しています。私の大好きな心落ち着く風景です。


仙台生まれの私ですが、今は、私にとって松山町が一番ホッとできるお気に入りの場所です。
弟や義妹に「お姉さんはもうすっかり松山人ね。」と言われています。

これからも、気の合う仲間達がたくさんいる松山町を大切にする生き方をしたいと思います。


今日のガンディーの言葉 「格言に~道のりは、景色に変化を供える~と、ありますが、丘の周りの景色だけに適合しているのではなく、人生の最も多い景色にも適合している。」

投稿者 jizai3 : 21:44 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月26日

素晴しい原風景を持つ田園都市

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瀬峰のおばあちゃんが亡くなって1年が経ちます。今度ご一緒に大崎市になる田尻町の町並みを抜けて、原人が出てきそうな小高い山を見ながら瀬峰へと向かいました。自宅で、お墓でとお参りをしてから法事会場の古川市の芙蓉閣へ行きましたが、行きすがらの田園風景は、花曇の中にありました。

大崎タイムスの寄稿文 「日本の地方自治」 どこからどこ 前宮城県議会議員 宮城大学非常勤講師 遊佐雅宣氏の地方自治に関するシリーズ文を興味深くいつも読んでいます。

今日は最終回でした。

その中で、イギリスのエべネザー・ハワードが提唱した「田園都市」のことに触れ、私達の地域のことが、日本の中で田園都市を構築する立地と環境を最も兼ね備えている自治体だと思うと述べていらっしゃいました。

日本文化についても、京都・奈良の文化は公家や高級武士のごく一部の文化であり、一般的な日本文化は東北にありと話していらっしゃいました。私もずーと以前から日本人のルーツは、「東北にあり」と思っていた人間ですので、この貴重な文化を育んでいかねばならないという遊佐氏の言葉には全く同感です。
人間の安住化の三要素は、生活をする為の糧を得る職業。 住む為の住居。生きる喜びを感じる文化。と話していらっしゃいますが、私達の暮らす地域には、この三要素あると思うとも話していらっしゃいます。

そして、何より大事なのは「地域の活力」だと断言していらっしゃいます。

あらゆる行政の無駄を省き、自主財源で「自治体が稼ぐ」という感覚が大切と話し、その中で、充実した教育と、充実した福祉を展開すべきとおっしゃっています。

合併によって、失われるもの以上に更にそれを凌ぐものを掴み取ることが大切と言い、その為にはそこで暮らす人々の意識改革が何より大事と話していらっしゃいます。

このような意識改革が出来れば、誇りを持って次世代へ大事なあらゆるものを継承出来るはずと、市町村合併へ向けてエールを贈り、この12回続いた文章を終りにしていました。

今日は、遊佐さんのおっしゃる人間の暮らしの原風景を持つ地域を改めて車窓から眺め、うなずける素晴しい田園都市を目の当たりにして遊佐さんのおっしゃるとおりだと確信をして帰りました。

以前も話したことがありますが、日本で有名な美術評論をなさっている村岡先生から、「小野寺さん、一番大事なことは自分の原点を大事にして作品を創ることですよ。現代はあまりにも自分の原点を忘れている作家が多すぎる。私は東北の人はもっと自分をアピールすべきと考えています。その点、小野寺さんの作品には強い独自性があります。小野寺さんのルーツを思わせる作品ですね。この事を大切にしながら制作するように。」とのお言葉を頂きました。

この村岡先生の言葉と、今日の遊佐氏の文章には多くの類似性があります。

それに、陶芸は、土と火と水と大いなる者におまかせしなければならない工程があります。

田舎の風景と、人間の原点の生活がそのまま存在するのです。

人は誰でも最後は土に帰ります。
私達が暮らす大崎地方には人間が人間らしく暮らせる空間がまだまだたくさんあります。

今日の車窓からのこの田園都市には限りない可能性を秘めた立地条件と自然環境の良さを感じました。

私達は、この眺めから多くを学び、この眺めを大切に次世代へしっかりと継承しなければと思いました。


遺影の優しかったおばあちゃんが「田舎の景色を大事にしてね!!」とささやいているようでした。


今日のガンディーの言葉 「全ての人は、自分の存在の源を探すべきである。」

投稿者 jizai3 : 19:21 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月25日

平成18年度 氏家規夫後援会・総会

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今日は、午後6時から自在窯&ギャラリーに於いて、「平成18年度 氏家規夫後援会・総会」が開催されました。昨年の4月に発足して一年を迎えました。今日は熱心で活発な意見が多く出されました。森議長は大変でしたが上手にまとめ、本年度も昨年同様、氏家監督を支援してゆく事が決定しました。

今日の総会のようにいろいろな意見が自由に出される事は大変良い事だと思います。

執行部案が全て通ったわけではありませんが、それぞれに真剣に意見を出し合い、監督を支えてゆくという、共通の目的の元に集まった善意の温かい仲間達は、昨年と同じように今年度も支援してゆく事を約束し合いました。

何の縛りも無い、監督支援という目的に基づく賛意書に同意した自発性を重んじる会員であります。
個人的事情が発生した場合はお互いの良識に基づいて判断することを良しとする会員達の集まりです。

どんな集まりでもそうですが、同じ土俵で話し合いが出来るということは良い事です。

違う意見との接点をいかに探すかということは難しい事ではありますが、充分話し合い、その後に合意出来れば最高です。

今日のように、会長、副会長も珍しく欠席で、主人の代理挨拶で総会は始まりました。
22名の出席でした。急用の人が多く、病欠の人もいました。総会にしては出席者が少なかったのですが
意見は活発でした。

欠席の方からも昨年同様という考えを委任されていましたが、私達の会則では、集まった人の過半数で全てを議決としていますので混乱はありませんでしたが、考え方の違いはあるものの良く考えてみると納まるべきところに納まったようです。

事務局と致しましては、不行き届きの所も多くあったものとは思いますが、皆さんに労をねぎらって頂き、大変恐縮しております。

本当に心優しい仲間に囲まれて主人ともども幸せです。

私達も、自分達以外の事に心を配る経験をするようになったのは最近です。

少しでも皆さんのお役に立てればと思います。温かい仲間と合い、お茶のみをする事が楽しみです。
そして時々、お酒を飲んだり出来れば最高です。

心合う仲間達と、心通じる話をし、美味しいお酒を頂くことができる人生は豊かな人生だと思います。

今日は総会が終わってホッとしています。

                     <お知らせ>

今日は福島県飯坂市の市営グラウンドへ松高ナインは練習試合に出かけました。

松高対光南高校は、8:9で負けました。 続く福島商との闘いは、4:4の引き分け試合でした。
帰りは車両火災に遭遇し、予定より、2時間ほど遅れて到着しましたが、子供達はみんな元気にバスを
降りてきました。いい練習試合で、福島は暑いくらいだったそうです。

守備が課題と反省をしていたようでしたが、監督は「大変勉強になる良い練習試合でした。」と後援会の会員達に報告をしました。


今日のガンディーの言葉 「申し立てをすることは一つの事実であり、証明することは他の事実である。」

投稿者 jizai3 : 23:22 | コメント (2) | トラックバック

2006年3月24日

美しい思い出"桜"に関してのこと

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今日は、PHPの4月号 特別企画「花見と桜と日本人」を読みました。多くの日本人の心の中にある入学シーズンや春の訪れなどを思い浮かべると、共通した美しい思い出として"桜”は必ず登場しますがその日本人の心を映し出している桜のことが書かれていました。~妙に納得です。~

「日本人の花見の習慣」 白幡洋三郎先生の話がとても心に残りました。

私達が当たり前のように思っている花見の習慣は日本にしかないと言っても過言ではないそうです。

桜の木の下に大勢の人が集まり、お弁当などを持って楽しむ花見は日本独特の民衆文化だそうです。

白幡先生は、花見には三要素があると話していらっしゃいます。

    *群れで咲く桜を鑑賞すること。
    *飲食が伴っていること。
    *群集となって楽しむこと。

先生は、花見の文化は長年、貧富に格差が比較的少なく、安定した社会であったことに由来しているとおっしゃっています。江戸時代には、貴族や武家、町民や農民といった全ての階級の人々が入り乱れて花見を楽しんでいたそうです。

花見を楽しむゆとりを感じさせる言葉ですね。

江戸の花見文化が全国に広がりをみせましたが、八代将軍 徳川吉宗が仕掛け人だそうです。

武士の修練の為、鷹狩りを復活させた吉宗は、鷹狩りの主要ルートの御殿山、向島、飛鳥山などに桜の木を植えました。これは冬の鷹狩りの間、田んぼを踏み荒らし、地元住民に迷惑をかけることへのお返しとして植えられたと考えられるそうです。

やがてこれらの地へ江戸市中の人が、花見に出かけるようになり、花見は庶民の文化になったそうです。幕末から明治期かけて「ソメイヨシノ」という新しい品種が生まれ、パッと咲いて、パッと散るソメイヨシノは日本人の感性にピッタリと合い、花見は日本の春の一大行事になったそうです。

白幡先生は、最近は若者達が車座になり花見を楽しむ様子を見て、彼らがきっと又、新しい日本の花見文化を作ってくれるでしょうと話し、文章を結んでいらしゃいました。

特別企画の中には、中津文彦氏の「独りよがりの桜かナ?」とか、来生えつこさんの「雨の夜桜」、、、の
エッセイ文もありました。

外国には「ガーデニングで花を楽しむ」というようなことがあると聞きますが、日本人のハートにピッタリと来る「花見」とは感覚が違うと思います。

江戸時代は、鎖国が続いていたので争いも無く、本当に平和でみんなが一同に桜の木の下に集まり、ちょっと贅沢な弁当を持参して桜を愛でながら春の喜びを分かち合ったということを想像してみますと何とものどかでほのぼのとした気持ちになります。

やはり、日本人には美しい桜が大変似合います。

美しいものを美しいと思う日本人の心を感じます。今年は是非ゆっくり桜を眺めたいと思っています。

花見には酔っ払いが出て嫌だと思っていましたが、少し考えが変わりました。

お酒大好きさんには、飲み過ぎずにマナーを守ってきれいな桜を観賞して頂きたいと思います。

美しい庭も良いし、美しい桜も楽しみです。

平和であるからこそ、楽しめる季節の変化をこれからも大事にして行きたいと思います。


今日のガンディーの言葉 「単純の中で、大きさがあるように、良きことは存在している。決して豊かさの中ではない。」

投稿者 jizai3 : 20:20 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月23日

春の到来を感じさせる歌 「早春賦」について

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可愛いピンクの雪割り草です。とても可憐なお花です。葉がクラブの形をしています。
花弁6枚の小さな花びらをつけています。頂いた雪割り草はピンクですが、白色の雪割り草が良く知られています。早春に咲く花で、季節感を感じさせる、春を知らせる花です。

春らしくなったと思ったら、又寒くなりました。気温の変動に身体のほうがついて行くことが大変です。

頂いた雪割り草が、皆さんに「可愛いお花ですね」と言われ、「白もいいけど、ピンクも可愛いですね」と言われています。

本当に小さな花びらの可憐な花です。春のつかいの役割を果たしています。

今日は、偶然、「早春賦」の合唱を聞きました。

私がとても好きな歌です。「賦」とはありのままに記すことです。早春が見せる自然の姿、そこで暮らす人たちの心情などを素直に飾らず述べた詩のことが「早春賦」の意味だそうです。

雪割り草の可憐な姿や可愛らしいと思う気持ちが春を待ちわびた心に、「春は名のみの  風の寒さや。
谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず。 時にあらずと 声も立てず。」 のメロディーがスッーと入ってきました。

歌詞を作ったのは、吉丸一昌氏で、国文学者で東京音楽学校教授です。音楽教育に大変尽くされた方だそうです。彼の親友の北村季晴(すえはる)氏に作曲を依頼したそうですが、北村氏は東京音楽学校
在学中の学生、中田 章さんの才能を起用して出来上がった曲なんだそうです。

吉丸氏は、長野県安曇野市・大町市の雪解けが始まる春の情景に魅かれ作詞をしたそうです。

安曇野は、日本一のワサビが生産されるところとして有名です。

清らかな安曇野の水が見事なワサビを育てます。

「早春賦」が好きという方はたくさんいらっしゃいますが、安曇野が発祥の地だということをご存知の方は少ないと思います。私もどこかの地の雪解けの様子だろうなとは思っていましたが、安曇野とは意外でした。

北アルプスのふもと、早春賦歌碑公園で、春4月「早春賦まつり」が開催されるそうです。

今日は、雪割り草のお花のことで、大好きな歌、「早春賦」のことを知ることが出来、とても嬉しく思いました。名曲の舞台となった土地柄を知ると、余計作詞をした人の心情が理解でき、2倍も3倍も好きになりそうです。


今日のガンディーの言葉 「事実、私共の生活の中は音楽でいっぱいであるべきです。 それから、甘いメロディーは、唯一、私共の全ての行動に沁み込むようになっているのでしょう。」


投稿者 jizai3 : 18:19 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月22日

ほんま俊太郎後援会 ・松山でのミニ集会2日目

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ほんま俊太郎後援会・松山でのミニ集会2日目が開始されました。先日の20日の「ほんま俊太郎と語る会」に続き2日目の集まりでした。今日は、広岡松山会館と上志引集会所が会場となり、ご近所の方々にお集まりを頂き、本間さんはご自分の考えを話し、ご質問にも答え「語る会」は無事終了しました。

今日は、夕方から、ほんま俊太郎後援会の広報車に乗り、今日の「ほんま俊太郎と語る会」の時間と場所のご案内をアナウンスしました。

わざわざ出ていらして「6時30分からというのは分かったけど何時までっしゃ?」と言われ「大体1時間ちょっとくらいです。」と答えました。そうしましたら「必ず行くからね。」と声をかけて頂き大変嬉しく思いました。

今回、始めて広報車でのアナウンスを経験しましたが、2回目の今日はだいぶ慣れました。

先日のような疲れも感じなく、出来るだけ来て頂きたいとの思いでマイクを握りました。

何でも経験してみるとその事の大変さが分かりますし、経験をし失敗をして始めて分かる事もたくさんあります。

ミニ集会の良さは、その人を身近に感じることが出来る事だと思います。

そして、自分の身近に感じた人を自分がどう思うかが問われるのだと思います。

今日も活発な質問が出ていました。地域性のこと、教育・学校問題など、、、でした。


今日まで何度か本間さんの話をお聞きしましたが、この大崎地方には豊かな自然がまだまだたくさんあり、基幹産業のコメ作りが盛んで、人間の食文化の原点そのものの生活があります。

私は日本文化は「コメ」そのもの。又、日本人の原点は東北にあると信じている人間ですから、本間さんの人間性を大事にしている話を聞くと勇気が出てきます。

そして、本間さんの話からは、「郷土の役に立ちたい」という強い郷土への愛情を感じます。

この地域を良くご存知で、常に大きな視野で物事を良く考えています。


私は本間さんには、この地域のより良き教育環境を整えて頂き、若いお父さんお母さんが安心して子育てが出来る地域社会であることを一番に望んでいます。

子供にとって居心地の良い家庭、楽しい学校、安心な地域社会は、良い成長を促します。

健全な地域社会からのみ、心身ともに健全な子供達が巣立つのだと思います。


広岡の松山会館にはたくさんの人が集まり皆さん熱心に話しに聞き入っていました。約60名くらいです。

上志引集会所は、一昨年出来たばかりで農道の中の集会所です。今夜は23名の方々がお集まりでした。松山町伊場野地区は、「伊場野」として、結束の固い所です。いざという時は「一つ」になる地域性を存分に発揮する所です。この地からは多くの行政職員を輩出しています。

日本全国何処でも硬直化した財政事情を抱え、少子高齢化の問題と、大きな課題を抱えていますがそんな中から、地域住民が知恵を出し合い、汗をかきながらも、希望の光を見い出せる真の指導者を選ぶことが大切な事だと思います。


今後もいろいろな所でミニ集会を重ねる予定だそうですが、地域住民の関心は高く、地域で暮らす人達が、自分の身近で大事な事柄としてミニ集会に足を運ぶ事はとても良いことだと思いました。

自分で出向いて情報を得ることは、大切な行為で意味のあることだと思います。


今日のガンディーの言葉 「体、心、精神の間に調和が無い限り何事も結局正しい事になる事は無い。」

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2006年3月21日

「タヒチ大統領賞」受賞 賞状と賞状盾を頂く

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この度、松山町の陶芸家 小野寺重一は、フレンチポリネシア大統領府招聘事業「ネオ・ジャポニズムinタヒチ2006」の展覧会で「タヒチ大統領賞」を受賞致しました。オスカー・マヌタヒ・テマル フレンチポリネシア 大統領からの賞状盾と賞状を頂きました。

2006年2月14日~17日に渡って繰り広げられた「ネオ・ジャポニズムinタヒチ2006」が終り、主人の出品作品「辰砂壺 豊穣」は、「タヒチ大統領賞」を受賞いたしました。

日本とフレンチポリネシア両国の文化親善に貢献したという事での受賞だそうです。

オスカー・マヌタヒ・テマル フレンチポリネシア大統領のにこやかな笑顔が入っている賞状盾です。

大統領は首にレイをかけ、カラフルなシャツを着込み、優しい穏やかな良い笑顔でいらっしゃいます。

日本では見かけないような賞状盾です。

大変立派な盾ですし、地上最後の楽園と言われるに相応しいとてもエキゾチックなものです。

今回の展覧会展示会場は、パペーテ市庁舎で行われ、開門と同時に多くの来場者で溢れ、日本文化の紹介事業は大成功だったそうです。

何より注目されたのは、タヒチが誇る世界的英雄ポール・ゴーギャンの直系の孫にあたるマルセル・タイ氏による全面協力だったそうです。マルセル・タイ氏もアーティストとして欧米を中心にご活躍だそうですがタヒチ国内の文化芸術振興に尽力し、政治・教育・マスコミにまで多大な影響力を持つ方だそうです。

19世紀末のジャポニズムが西洋の芸術家に積極的に取り入れられたことをタヒチ国民に知らせ、今回の展覧会がタヒチの文化に大きな影響を与え、タヒチ国民の財産になると呼びかけた、タイ氏の思いが大成功の展覧会となり、両国の新たな歴史を確かにスタートさせた意義ある展覧会になったそうです。

開催終了報告書には、現地の人々からの熱いメッセージを頂きましたが、日本芸術を高く評価し、将来は是非日本に行きたいと思いますというような感激的な言葉がたくさんありました。

南太平洋に浮かぶ島々と、はるか太平洋に浮かぶ日本と気候も風土も民俗も異なる国が「ネオ・ジャポニズム」の名のもとに深い絆を結ぶ事が出来ることは、作家にとり、両国民にとりすばらしい事だと思います。

文化事業はあらゆる障害を飛び越える偉大な力を持つものだと思います。

「わーぁ”いいなー」と思う気持ちを幼い時からきちんと育てる事が我々大人達の使命だと思います。

                     <今日の練習試合>

宮農グラウンドでの田村高校と宮農高校との試合は強風の為中止とし、皆でWBCの歴史的感激の日本勝利試合を観戦したそうです。氏家監督「感激しましたよ!!」と。  ”素晴しい日本の勝利でした。”
その後、地元グラウンドの戻り練習をし、暗くなってからは監督宅のトレーニング室で筋トレ、体操などをして一日は終了です。

イチロー選手の怒りを見ていつも冷静なイチローの別な面を見ました。彼がどんな日本人としての誇りを胸に抱いて大リーグでプレーしていたかを知り、胸が熱くなりました。  素晴しい日本選手のチームプレーに感激しました。ベースボールで日本人が世界一になるなんて今日は最高の一日でした!!!


今日のガンディーの言葉 「怒りが収まった後になされた仕事は実を結ぶ。」

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2006年3月20日

ほんま俊太郎と語る会・松山町でのミニ集会始まる

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今日から、ほんま俊太郎と語る会・松山町ミニ集会がスタートしました。今日は、朝からすごい風で、時々小雪が舞い真冬並みの寒さに逆戻りしたような一日でした。本間さんが、直接政策を訴えるミニ集会が今日、20日には松山町駅前集会所と、旧松緑酒造の蔵と二箇所で開催されました。

本当にすごい風がものすごい音を立て、歩くのが怖くなるような風が吹き荒れました。

東北地方の上には爆弾低気圧が居座っていて、この爆弾低気圧の仕業で、この突風が吹き荒れ、冬のような寒さの一日だったようでした。

ミニ集会開始時間には、冷たい雪が降り出し、大変な中で「ほんま俊太郎と語る会」が始まりました。

駅前集会所は、外観もきれいですが、室内はとてもきれいで落ち着きがあり、快適空間のマリスに相応しい地域住民のコミニュテーの場所でした。

丁度雪が吹き荒れ大変寒い時間帯でしたが、35人もの人たちが集まり、熱心に話を聴き、地域住民の関心の高さが感じられました。

予定時間をオーバーしてしまいましたが、こと細やかに現状の政治状況、大崎地方の経済状況などを分析し分かりやすく説明をし、駅前集会所では、お二人の方から、地域づくりに関する質問を受け、ご自分の考えを述べていらっしゃいました。

実に良く松山町のことをご存知で、歴史文化を根底に地域を見つめる確かな目が大事だという考えを述べられました。

その後は、ブログ写真で紹介しました、旧松緑酒造の蔵に場所を移行して本間さんのミニ集会は始まりました。

寒さにもかかわらず、60名以上の方々が古い蔵に集まって下さいました。

中新田町長の経験を持つ、本間さんの話には地域づくりの原点の精神が息づいています。

行政のトップとして、手腕を発揮した自信を感じさせる政策でした。

何よりも人間としてのものの考え方が大変しっかりなさっています。本間さんらしいアイディアが豊富にあることを感じさせます。「例え」を使い、分かりやすく説明を繰り返していました。

本当に盛り上がり寒い中、成功裏に終わりましたが、最後に4人の代表の方々の質問を受け、丁寧に答えていました。

本間さんの自論、「森と川と田んぼを大事にして、共生と循環型社会を一緒に目指しましょう。」と締めくくりました。

いつもお話を聞くたびに思いますが温かい人柄が良く出ている答え方です。

「生きてゆくには効率も大事だけど情も大事にしながら生きてゆきたいですね」と言います。そして、「家族を大切に思う気持ちを育み子供達に教え込んでゆくことが大切です」と話していらっしゃいます。

地域づくりは、お互いが知恵を出し、汗をかき共につくり上げて行きましょうと意気込みを感じさせる言葉でした。

私はいろいろなお話を伺いながらこの人となら、汗をかいてもイイナと思いました。

本当にざっくばらんで、豊かな経験と深い洞察力、高い教養と温かいハートを持ち合わせている素晴しい方です。今回、これほどのビジョンと、実行力を持つ方の応援が出来ることを大変嬉しく思います。

生まれて始めての経験ですが、毎日ワクワクしています。

微力ですが本間さんを支え、力になれたら本当に幸せです。

本間さんは素晴しい指導者の器を持つ、寛容な方です。
リーダーとしての要素を全て兼ね備えている方だと確信しました。


今日のガンディーの言葉 「人間は彼自身の精神の人間性によって、本当のことを知らされている。」

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2006年3月19日

松山町閉町式~”116年の歴史に終止符”~

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今日は、松山町にとって歴史的な一日です。松山町116年の歴史に「ありがとう」 「さようなら」を言い、終止符を打ちました。ブログ写真は、AM9時から松山町役場庁舎前で行われた記念碑・記念モニュメント除幕の最後に行われた風船放空の様子と体育館で行われた閉町式で、狩野町長最後の挨拶です。

今日は、風の強い朝を迎えました。

午前9時近く、松山町民は風の強い中、松山町役場庁舎前へと急いでいました。

大勢の方々が同じ方向へ向かって歩いていました。

今日は松山町民にとって、歴史的な一日です。
「松山町閉町記念式」の式典が執り行なわれました。

始めに役場庁舎前で、記念碑・記念モニュメント除幕が行われました。

松山太鼓「鳴和会」の力強い音色で始まり、記念碑制作者 松山町出身 加藤直樹氏 風の記憶2006「ー対話ー」の除幕が行われ披露されました。その後、参加者全員で風船放空を行いました。

加藤直樹さんの作品 「ー対話ー」は、二人が話している様子が表現されています。

仲の良い親子の会話、楽しそうな兄弟のおしゃべり、恋人同士の甘い会話、気の合う友人同士の会話、
先生と生徒の話、、、、、、、大事な人と楽しい話をたくさんした松山町での記憶をいつでも大切にしようという思いが伝わってくるような素晴しい記念モニュメントです。

次は、会場を松山小学校体育館に移し、松山町閉町記念式典が行われました。

「閉町の辞」を、松山町 狩野猛夫町長と、氷室勝好議長が述べました。  お二人とも、松山町最後の町長と議長です。その後、記念表彰があり、主人も松山町の陶芸家として特別表彰をして頂きました。

今日の閉町式に参加をした方が帰りギャラリーに立ち寄り、「松山町が無くなる事は本当に悲しい!!」と言い、目に涙を浮かべていました。「俺は此処で生まれて此処で育ったから」、、、、と。
私は、「でも大崎市松山で、町は無くなっても松山は残るから。新しい始まりの日と考えたほうが元気になるから。」と激励しました。

やはり、嫁いだ人と、生まれ育った人とでは異なる感情があるのだと思いました。

主人は3人の仲間達と帰りましたが「いやーネクタイして行って良かったよ。表彰されたんだ。」と言って帰宅しました。始めは「俺はスタートならいいけど、終りの所へは行きたくない。」と言いましたので「出席のはがきを出したのだから、早く行ってね。」と言うやりとりで出掛けました。

大変立派な記念品も頂き恐縮しております。

これからは、新市「大崎市」へ向けての新しい時代へのスタートです!!先人達の歴史から多くを学び、
温かい人々の暮らす地域「大崎市」として成長できるよう祈ります。


                       <お知らせ>

大崎市市長選に出馬表明をしている「ほんま俊太郎」の松山町でのミニ集会が下記の通り開催されま
す。前県議会議長との一騎打ちの構図になりそうですが、私達有権者の貴重な一票を誰に投じるべきか、我々は、候補者の市政に対する志を良く聞き、大きな関心を持って大崎市長選に望まなければなりません。今回の集会は、松山町を4ブロックに分けて開催しますので、都合のよい場所でほんま俊太郎の話に是非耳を傾けて頂きたいと思います。 
                    

1、3月20日(月)  18時30分 駅前集会所      2、 19時30分 旧松緑酒造蔵

3、3月22日(水)  18時30分 広岡松山会館    4、 19時30分 上志引集会所 

               * 問い合わせ:ほんま俊太郎後援会松山支部 小野寺京子 ℡ 55-3735


 
今日の練習試合結果: 松高対仙台東 19:0で勝利。松高対亘理 6:4で勝利。(風の為5回で終了)

今日のガンディーの言葉 「水の滴りが、大洋を作っているのと同じに、同様、我々は、又、友情を通して
友人の大洋を作ることが出来る。全く、もし、我々の全ての人がお互いに愛と友愛の精神で生活しているなら、世界の形態は一変させられるだろう。」

投稿者 jizai3 : 13:30 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月18日

重い心を軽くして

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松島湾のウミネコです。気持ち良さそうに羽ばたいています。今日は少し気が重くなる話を聞きましたが、月刊「川柳大学」主宰の時実新子さんが、「重い心は川柳という屑篭へ」という特集文章を読みましたら気持ちが軽くなりました。喜怒哀楽の五七五のタネは、自分が生きている限り、尽きないそうです。 

今日は、穏やかな土曜日です。
春らしいお天気で眠気に何度も何度も誘われました。  それで、ついにチョッとだけ休みました。
眠った後は爽快でした。

今日は、ちょっと気が重くなる話を耳にしました。

先日の松島での主人達の猪和会「古希同級会」参加者Mさんが映像CDを送ったということなので、改めて主人のデジカメの映像を見ましたら、松島湾のウミネコが気持ち良さそうに飛んでいました。軽々しく飛翔する姿に思わず見入ってしまいました。

主人が「M君も、遊覧船の中でいっぱいシャッターを切っていたから、きっといい映像が送られてくるはずだ。彼の写真の腕はプロ級だからね。うちのギャラリーのガラスケースの中にある富士山を撮った人だから。」と言っていました。

本当に素晴しい日本の富士山の写真です。  シャッターチャンス、シャッター角度が最高です!

Mさんが、松島をいかに撮るか楽しみです。そして、CDが届くことを心待ちにしています。

つらいこと、苦しいことがあった時には、川柳を作れば心が癒されますよと言う、時実新子さんの文章を目にしました。

時実新子さんの川柳生誕地は、自分のハートですので、「私が生きている限り、喜怒哀楽のネタが尽きる事はありません」とおっしゃっています。

私の叔母も、「お父さんと喧嘩した時は、川柳を作るとすっきりする。最高のストレス解消法。」と言っていました。お金はかからないし、怒っても、意外と川柳を作ると早く平常心を取戻せるし、良い事尽くめと話していたことを思い出し、時実新子さんが話している事には素直に納得しました。

辛い事悲しい事を川柳にして屑篭へポイして、新たな気持ちになって、又、生きる。
””笑って笑って””とありました。        時実さんは川柳を始めて50年になるそうです。

「笑いある 生き方上手 年の功」Kyoko~~そろそろ私も、このような気持ちで生きようと思います。

重い心を軽くするには、心の赴くままに行動し、自分を開放し、自分らしい自分を取戻して、いつも自分が好きでいられるように仕向ける事が大切だと思います。

自己否定をせず、自己を肯定して生きることが大事なようです。

大怒りが収まらない時には、その心を川柳にしてその後、ポイすれば、すっきりになりそうです。

ここでは一寸、紹介できないKyoko川柳が出来ましたが、マイ手帳に書きました。
           ホント見事、   スッキリしました!!


                         <お知らせ>

明日の松山球場での練習試合の開始時間ですが、明日は朝に雨が残る予想だそうですので、1時間遅れでのスタートになるそうです。試合開始は、10時からとなります。寒さ対策をしていらして下さい。

今日のガンディーの言葉 「怒りを征服したということは、外部的には明らかに収まったが心中は怒りがいっぱいと言うのではない。意図的に怒りの根元、、枝、まで追い出したことが本当に怒りを征服したことの証明になるのだ。」

投稿者 jizai3 : 13:39 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月17日

雨降りの小学校卒業式

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今日は朝から強い雨が降り続いていました。昼前にHさんが「いやー、今日はとても良い卒業式だったよ。」とニコニコしてギャラリーに立ち寄ってくださいました。後ろの方の席だったので写真撮りが大変だったようですが、厳かな落ち着いた卒業式の雰囲気が良く写し出されていました。

今日は、昨晩から降り続いた雨が降り止まず、松山小学校は雨の卒業式を迎えました。

大勢の人達に見守られながら、元気な小6生は本日卒業式で晴れやかに巣立ちの日を迎えました。

大変良い卒業式だったそうです。

落ち着いた雰囲気が伝わってきました。ブログ写真下は、吊り下げられた「多色版画」だそうです。

卒業を祝して卒業記念制作が、晴れやかに卒業生を見つめています。

きっと時間をかけて一生懸命に取り組んだことと思います。

その時にはそれ程じゃなくても、後になって良い思いでは鮮やかに蘇ってくるものです。

小学校の思い出はひとしおです。中学生になっても、高校生になっても小学生の思い出は、特に強烈
です。年を重ねると余計、初めての本格的な集団生活は懐かしく思われます。

保育所や幼稚園の思い出とは、一あじ異なります。

小学校生活が6年間と他の教育機関とは違い、長いからでしょうか。

私も小学校の友人とたまにお逢いすると懐かしさはひとしおで、あの頃が鮮明に蘇ります。

特別な思い出を持つ、小学校を今日巣立ってゆく子供達一人一人が、中学校への期待と不安の半々の思いを抱いて大きく成長を遂げたようでした。

これからの自分を、ますます自己教育力と学校教育力と温かい家庭の愛情を受けて自分を羽ばたかせいろいろな事を数多く経験して自己実現の為に、大いに学んで欲しいと思います。

小学校の思い出を大事にして、4月には、新しい一歩を力強く踏み出して欲しいと思います。


                    「ご卒業おめでとう!!」


今日のガンディーの言葉 「知識とは、自分自身を知ることが出来る事である。他の言葉で言えば、知識とは、自己の実現を意味する。」

投稿者 jizai3 : 12:46 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月16日

グラウンドに集まるいい顔

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春色の風吹くグラウンドに何人かの人たちが集まっています。皆さんいい顔をなさっています。
一生懸命に頑張る高校球児を見つめる目は温かです。だいぶ暖かくはなりましたが、それでも広いスペースの松山球場の応援は冬支度の格好で出掛けないと長時間の応援は堪えます。

「次の練習試合は、いつかな?」なんて楽しみにしている人がいます。

このような方達は皆さんいい顔をなさっています。そして、松高ナインのことを良く観察しています。

ですから、〇〇君は、ひとまわり大きくなったとか。ボールを投げる力に勢いがついたとか。下半身がしっかりしてきたとか。、、、、、、本当に子供達の変化を良く捉えていらっしゃいます。

夕方、氏家監督がギャラリーにいらっしゃいました。

監督も、いつもいい顔をしていらっしゃいます。毎日ちゃんと子供達と真剣に生きているお顔です。

きちんと生きていることが伝わってくるからでしょうか。

今日もいろいろな話をする中で、「子供達が野球を通して3年間、身につけたものは、実社会に出た時に必ず役に立つと信じて子供達と向き合っています。」とおっしゃっていました。

このような話をする時の監督の顔は一段と輝き、目には力が漲っています。

自分に与えられた資質を活かし、自信を持って子供達に接している指導者としての納得できる人生を歩んでいる充実感が漂っています。これは現在進行形の魅力です。

人は、みんな限りある人生を生きています。若くして亡くなった人のことを想う時、どんなにか心残りだったろうと思います。自分の命がいつ終りを迎えるかなんて誰も分かりません。でも絶対その日が誰にでもやって来る事は確実です。

そう思うと、もったいなくない時間を送ることが大事だと思います。人間ですから過ちを犯したり、失敗したり、いろいろ辛い事、悲しい事もあるでしょうが、いつも自分が決めたことと考えながら、ありのままの自分を受け入れて、自然体で生きることが一番いい顔でいられるコツかなと思いました。

不満の多い人は表情が冴えません。ほんの少し、考え方を変えたらもっと楽になるのに思います。

私から見て満足の人生に見えても本人がそう思わなければ駄目ですし、逆に私には大変に思える人でも決して弱音を吐かず、明るく生きている人もいます。

しかしこれだけは言えます。心の持ち方、気持ちのあり方が顔には正直に出ています。

怒っている時の自分を鏡で見たことがありますか?自分で見てハッとするくらい嫌な顔をしています。

そんな時は心の中も醜いのだと思います。

誰に対してこんなにも嫌な顔をしているのかと、自問自答して冷静になると答えはすぐ見つかります。

母の口癖は「女の子は、いつも同じでいることが大事よ。」でした。

最近、母の言葉が良く理解できるようになりました。いい顔の人たちを見て、私は、日々の生活の中で、いい顔をしながら生きてゆきたいなぁと思いました。


今日のガンディーの言葉 「人生は毎日新しくなる。この知識は、我々、精神向上するように手を差し伸べるべきである。」

投稿者 jizai3 : 18:58 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月15日

松山駅前・マリスに春風吹いて

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今日のブログ写真は、松山駅前周辺・マリスの様子です。  東北本線沿いで利便性に富み、仙台から40分の素晴しい田園都市の中に松山町のマリスは、堂々と存在しています。今日のマリスには爽やかな春風が吹いていました。

今日は、松山町のマリスを時間をかけてゆっくりと車で回りました。

きれいな整備された公園、穏やかな静かな空気が何とも言えない落ち着いた雰囲気を醸し出し、今日の爽やかな春風がとても似合っていました。

松山駅前周辺のマリスは、人口増加の場所で元気な子供達がたくさん暮らしています。

松山町は、仙台~松山間が電車で40分の「仙台のベッドタウン」としての栄える事、間違いなしの立地条件を持つ町だと私は思っています。

以前20歳の頃、富谷町で働いていましたが、あの頃「富谷町は、仙台のベッドタウン」と言われていましたが、現在ではその通りになっています。

東北本線を持つ、松山町はもっともっと有利な条件を持っていると思います。

本線は、定時刻運行で殆どアクシデント、トラブルも無く、私は15年間塾の経営をしていましたが、大学生の塾講師を安心して松山町に呼ぶ事が出来ました。

昼は仙台で働き、夜は松山町でぐっすり休み、東北本線の電車で快適に通勤できる仙台市のベッドタウンとしての夢が広がる松山駅前マリスとしてとても素敵に感じました。

                       *お知らせ


         <松山高校硬式野球部練習試合日程と関西遠征について>

3月19日(日) 仙台東、亘理 (松山G) 9:00~
3月21日(火) 田村、宮農  (宮農G) 11:30~
3月25日(土) 光南、福島商 (福島市内) 9:00~
4月 8日(土) 花泉      (未定) 10:00~
4月 9日(日) 仙商、宮農  (未定) 9:00~

                    <春の関西遠征について>

3月28日から4月4日まで、関西方面へ遠征試合をします。始めての春の遠征試合を予定していますが
皆、胸を躍らせ、張り切っています。
3月28日、夜8時頃に出発して、4日の朝6時30分頃到着予定だそうです。

今日のガンディーの言葉 「大きなことではなく、良いことを考えよう。」

投稿者 jizai3 : 16:20 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月14日

悲しい別れ

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今日は、松山町入町 石雲寺で午前10時よりTさんの告別式がありました。行年56歳の悲しいお別れでした。私がTさんを知ったのは塾生の保護者としてでしたが、大変教育熱心で、我が子のことだけでなく、大きな立場で今の日本の教育を考えている人でした。

Tさんは、いつも健康で笑顔が少年のような人でした。

私はお買い物ついでに良くいろいろな話をしました。本当に良く勉強をなさっている方で、いつも元気で大変健康的な人とばかり思っていたので今回の突然の訃報にとても驚きました。

ギャラリーを始めてからは少し遠くなってしまった感じはしていましたが、私が東塾をスタートさせた頃、大変励まして下さいました。「塾頭、塾頭」と良く声をかけて頂き、親切にして頂きましたし、お子さんお二人とも東塾の卒業生で、二人とも大変良い子達でした。

今日の告別式でお嬢さんがお別れの言葉を述べ、長男が喪主としてご挨拶をしました。

私は二人のことは小学生から知っています。あんなに無邪気だった兄弟が立派に成長したことを心から喜びましたが、人として育て上げ、これからだという時に思いもがけずに亡くなってしまうなんて、、、、
本人のお父様が一番驚いているのではないかと思いました。

私が松山町に嫁いできた時、一番理想的にみえたご夫妻でした。

いつも二人一緒で仲良くお店をやり、店の後ろのほうで一緒にお昼を食べていた姿を見て、夫婦で同じ仕事をすることを本当に羨ましく思っていました。

この事をずーと経ってからTさんに話しましたら「塾頭こそいつも旦那さんと一緒で、車の助手席に奥さんを乗せて走っている人が松山町でも増えたけど、塾頭たちの影響大きいよ。」何て言われた事もありました。

本当にいろいろな話をしたことを思い出します。特に教育に関する話をたくさんしました。

どちらかというと内気なK君が活発になったのは塾頭のおかげと、言って頂きありがたく思っていました。本当に優秀なお兄さんで良く出来るお子様でした。

時々授業中にふざけて叱ったりもしましたが、お父さんは「Kが、先生に怒られるなんて考えられない。」とおっしゃっていましたが、内気なおとなしい子供がどんどん積極的に変わり、勉強をする事で自信をつけ、同級生からの信頼はたいしたものでした。そして、お母さん似の心根の優しい男の子でした。

妹も底抜けに明るく元気いっぱいのお子様で、教育実習に行って来た大学生の先生達が「N子ちゃんを見ると松山町に帰ってきた事を感じ、ホッとする。」と言うような、人を和ませるムードメーカー的存在の女の子でした。まわりに対して優しい気遣いが出来る子供でした。

お母さんも大変良い人で私の大好きな人です。とてもよい家族でした。

今日帰る時、立派に成長した二人に「お母さんを大切に、宜しくね」とだけ声をかけてきました。


本当に別れは突然やって来て、心の準備も無いまま告別式を済ませたという雰囲気でした。

集まった人たちもあまりにも急な悲しい出来事に口数も少なく、静かなお別れをしました。

残された家族の皆さん達の大きな悲しみはこれからだと思いますが、強く生きて欲しいと思いました。

生前「松島 いいよね。俺大好きなんだよ、松島は。」と話してくれたことがありましたので、今日のブログ写真は、先日主人が写した風光明媚な「松島」にしました。


今日のガンディーの言葉 「立身出世の本当のしるしは、その人の優しさと成熟さの成長である。」

投稿者 jizai3 : 13:11 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月13日

練習試合の後のこつこつ練習の重要性

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今日は月曜日でグラウンドでの練習は、無しの日です。子供達は、午後からは、監督宅のトレーニング室と、ギャラリーの構内でそれぞれ分かれて練習をしていました。主人は、土日の練習試合を観て、「とにかく打つようになってきた。スイングに逞しさが感じるようになった。」と言っていました。

3月11日(土)、12日(日)と二日続けて松山高校硬式野球部員たちは、練習試合をしたわけですが、今日は月曜日、グラウンドでの練習が無い日です。

午後には、監督宅のトレーニング室とギャラリーの構内に分かれてそれぞれにこつこつ練習に励んでいました。

練習試合を観た人たちは、「上位打線はかなり打つようになっているね。下位打線がもう少し頑張ることと、守備のミスを無くす事が課題だね。」と言っていました。

主人は、「子供達は腰まわりも大きくなり、肩幅も逞しくなり、一段と力強さを感じるようになってきた。」と言い、「とにかく打つ姿がすごく自然になってきた。」と言っていました。

二日で松山高校は、23点入れたことになるわけですが、昨年も初試合負け、2試合目は勝ちと今年と同じスタートでした。昨年は二日で24点入れていました。ほぼ同じような点数を入れていますが、主人は
打つ姿がまるで違うと言っています。

今日も午後には小雪が舞ったりの寒い一日でした。週末は天気が良いようですが本当に三寒四温がピッタリの季節で、身体コントロールが難しく、体調が悪いと言う人の声を聞きます。

血圧の変動を気にしている人がたくさんいるようです。
くれぐれもお気をつけください。

野球部の子供達は、皆元気で「風邪ひいている人はいない?」と聞いたら、「皆元気です。誰も風邪ひいていません。」と元気に答えていました。

練習試合の後も、こつこつ、黙々と練習をしていました。この基礎練習がつくづく大事なのだろうと思いました。

今日はギャラリーに入らしたお客様から小学校生の勉強方法を聞かれましたが、「解ったことを繰り返す反復学習が一番大切ですよ。」と答えました。

反復学習をきちんとやる子供は必ず伸びます。学んだ事、覚えた事を自分のものにする方法を体得している事が大事なことだと思いますが、、、、、スポーツにも習い事にも何にでも通じる体得方法だと思います。

同じ事を何度も繰り返し、きちんと身に着けてはじめて次のステップへと進めるのだと思います。
そして又、繰り返し、身に着けて次へと、、、、このようにして10年トライしたら人前で演じても、プレイしても恥ずかしくない何かが出来そうな気がします。

陶芸では「轆轤十年」と言われる言葉ですが、上手にろくろで成形出来るようになるには10年はかかると言われて所以です。

私も良い先生になるには10年はかかると良く言われましたので納得できますが、、、、、、松高ナインはたった3年しか猶予が無いわけですから、殆ど毎日時間を惜しんで練習に励むのでしょうね。

密度の濃い練習に励むのだろうと察します。限りある3年をどう過ごすか。貴重な年月ですね。

そのように考えると、3年間の目標を(正味は2年半)はっきり定めて努力する気持ちが理解出来ます。

かけがえのない3年間を有意義に過ごして欲しいと思います。

明日は公立高校の合格発表です。ドキドキの子供達の心境が伝わってくるようです。


今日のガンディーの言葉 「人は自分自身を外部で探す事によっては高めるはずが無い。成長への展望は内部に存在している。」

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2006年3月12日

何事も基礎が大事

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今日も松山球場では、練習試合が行われました。対戦相手は柴田高校です。松高リードで試合は進んでいますが、、、、果たして勝敗は?昨日とは打って変わっての寒さです。冷たい風がグラウンド、広岡台近辺に吹き荒れていました。それでも練習試合を見守る熱い視線が球児達に注がれていました。

今朝は、TV12チャンネルで元総理 中曽根康弘氏と、数学者 、エッセイストである藤原正彦さんの対談が放映されていました。

私は、藤原さんがテレビ嫌いで、「僕はラジオだけ」と話していたという記憶がありましたので大変意外な感じを受けましたが、TVを通して拝見できて嬉しく思いました。

藤原さんは数学者であり大変理論的な方なのに、いつも「母国語は大事。しっかりした国語教育を。」と主張していらっしゃるので、私としては全く同意見なのでいつかお話を直接お聞きしたいと思っておりました。こんなに早くTVを通してではありますが、、、、、、大変嬉しく思いながら熱心に耳を傾けました。

藤原正彦さんは、新田次郎さん、藤原ていさんご夫妻のご次男でいらっしゃいます。

”読書”を、教養を獲得して人間の知的レベルを高める極めて重要な要素と位置づけ、大学1年生を対象に読書ゼミナールを開き、新渡戸稲造、内村鑑三、福沢諭吉の思想書や、宮本常一の民俗学の学術書などを読ませているそうです。

2005年発刊の「国家の品格」が多くの人達に読まれているそうです。

日本の教育は「読み、書き、そろばん」が核であるべきで、母国語を読み、有無を言わさず漢字を書かせ、基礎的計算をきちんと教え込む教育が大事で、今日も英語の早期教育を批判なさっていました。

中曽根元首相も同じ意見で、まずは国語教育をしっかり行い、英語は中学生からで良いと断言していました。日本人が日本のことを良く知らないで、流暢な英語で会話が出来ても国際人ではないと。

まずは母国の事をしっかり学ぶ事が大事と力説なさっていました。

小気味がいい話で納得できる部分が多くありました。

コメンテーターの竹村健一さんは、「まだまだ日本人の心の奥には、藤原さんの言う日本人としての大事な気持ちを取戻そうとしている人はいると思う」と話していましたが、私もそう思います。

「日本人としての教育」の事を考えている人たちはたくさんいます。「このままではいけない」と考えている人達は多いと思います。

久しぶりに「惻隠の情」という言葉を聞きました。

生前、父が良く言っていた言葉です。

「日本人は、恥を知る心と、誇りを持つこと、惻隠の情が大事」といつも私達に話していました。

私は、父が苦手でした。「恥を知れ」とか「お前には惻隠の情が欠けている」とか「自分の弟であっても男の誇りを傷つける言い方はするな」「何事も基本が大事。十を知っていても大事な一を知らない人間が結構多い、そんな人に仕える事は悲しいことだ。」、、、耳にたこが出来るくらいに良く言われた言葉でした。

良く考えてみると現代社会には父のような人間は本当に少なくなりました。人に嫌がられることや、言いにくいことは言わない人が増えたように思います。

父とは似ていないと思ってずっと生きて来ましたが、言いにくいことをはっきり言う所や、嫌われることを全く気にせず生きている所は、父に似ていると最近気付きました。

ついこの前までは、父のことは、苦手、嫌いという気持ちがありましたが、、、、、弟は「俺には父のような威厳はないな。子供達から甘く見られていることを感じるから。」と言っていました。

とにかく、そばにいるとうっとうしい人でした。今日TVを見ていてやはり弟の言葉でいう「威厳」なのかなと思いました。

毎日子供達に野球の指導をしている氏家監督は、「野球は一にも、二にも、基本が大事。基礎練習を暑い時も、寒い時も、こつこつやる事が強いチームになる最善の道。」と言いますが、何事も基礎、基本が全てなのですね。

松高ナインにとって監督は絶対ですから、、、、「威厳」を感じる人です。  私には親しみも感じますが。


教育の基本「国語」が大事。「母国語を大切に」という藤原先生の考えに大賛成です。

日本人の心「惻隠の情」を突き詰めると、この世の中から争いごとはなくなるのではと思いましたし、ガンディーの非暴力主義とつながる精神を感じました。

{今日の練習試合結果} 
 16:5で勝利しました。山本君が完投しました。球場から帰宅後、4時過ぎ松山駅清掃に出掛けました。


今日のガンディーの言葉 「人間は彼自身の精神の人間性によって、本当のことを知らされている。」
                「母国語をけなす事は、自分の母をけなす事になる。」

投稿者 jizai3 : 13:02 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月11日

2006"3月 春の爽やか球場で初練習試合と初合同練習スタート

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今日は最高の野球日和でした。松山町の地元松山球場では今年初めての練習試合と合同練習が開始されました。私達は今日は古川行きでしたので、10時15分まで球場の子供達、松高リードの様子を確認してから出かけました。ブログ写真は球場の道路の上からの撮影です。春風が気持ち良かったです。

まだまだ観ていたかったのですが、松高リードを確認してから古川へ出かけました。

今日は心地良い春風が吹き、私達は、グラウンドを見下ろす形で道路の上から観戦しましたが、松高の子供達の動きは活発で、1塁側応援席とバックネット裏には数人の人たちが集まっていて初練習の様子を見守っていました。

ピッチャー小林君のアナウンスがあり、先発投手でした。

後ろ髪引かれる思いで、松山球場を後にしましたが、監督夫人からのメールで7:11で負けたとの事でした。私達は、4点リードのスコアーボードを観て出かけたので意外な感じを受けましたが、負け試合でのスタートも仕方ないかなと思いました。

宮農は、層の厚い良いチームですし、良い勉強になったと思いますが、夕方試合を観た人は、守りのミスエラーで点数が入り、勝ち試合が負け試合になったとの事でした。

2006年初めての練習試合が悔しいスタートを切ったことを肝に銘じて、これからも、日々の練習に励んで欲しいと思います。

明日も同会場、同時刻で柴田高校と練習試合が行われます。

応援宜しくお願い致します。今日の悔しさをどのように明日の練習試合に活かすか楽しみですね。


今日のガンディーの言葉 「義務を実行することによって、発生する正義は持続する。」

投稿者 jizai3 : 16:34 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月10日

JKーブログ「変化をもとめて」が出来上がる

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この度、2004年12月29日から2005年12月31日までの私が作成していたBlogが、4さつの冊子となり、大崎タイムス社の印刷部のお力を借りて出来上がりました。小牛田牛飼在住の後藤一蔵先生から「是非本にまとめてみたら如何でしょうか」という熱心なお言葉を頂き、主人が賛同し実現しました。

想像以上に立派な本に出来上がりました。

私がパソコンを本格的に始めたのは55歳からでした。

まだまだ初心者ですが、NPO法人 古川サポートセンターの高橋理事長のご指導のおかげでパソコンを覚え、理事長のお勧めでブログにも挑戦する事になりました。

JK-Blogの目的は、今現在、松山町民が応援している松山高校硬式野球部のこと、松山町のこと、自在窯&ギャラリーのこと、、、、、、を、此処、宮城県松山町の「自在窯&ギャラリー」から情報発信をし、多くの方々に私の大好きな「松山」のことを知って頂くことです。

この3月31日、松山町は近隣の一市六町と合併をして「大崎市」となる事が決定しています。

そんな中で、この歴史ある、文化の香り溢れる松山町の毎日を私なりに観察し、感じた日々を残そうと思いました。

稚拙な文章で私の独断と偏見が出ていますが、大好きな松山町を愛する気持ちをお汲み取りい頂けたら大変幸せです。

今回の「変化をもとめて」は、主人の全面的協力で実現できた事ですが、思いもよらない出来事に私は正直、面食らっています。でも、主人の気持ちには大変感謝しております。

今まで長続きしたことのない日記が、パソコンのブログでこんなにも楽しく書けるなんて本当に驚きです。

人間はいくつになっても変われる要素を持っているのだと思いました。

これからもいろいろな変化を楽しみながら主人と二人、生ある限り足並み揃えて生きてゆきたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。

どうぞ、ブログへのコメント、気軽に書き込んで頂きたいと思います。

                         
                    *お知らせ

      いよいよ明日、松山球場で初練習試合&合同練習開始です!!
 試合は、AM:10時からです。氏家監督のノックが見られるかもしれませんョ?  ノックは30分前です。
 春風が冷たいかも知れませんので寒くないようにしてご都合のよろしい方は球場へお越しください。


今日のガンディーの言葉 「経験を積めば積むほど、人間自身が不幸と同様、幸せの源泉なのだと実感する。」

投稿者 jizai3 : 19:09 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 9日

新しい季節の息吹き

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先日、啓蟄を迎えたばかりでしたが、今朝、鉢植えの土の中で小さな虫がチョロチョロと動いていました。木にはあたらしい芽が芽ばえ、新しい季節の息吹きを本格的に感じる頃となりました。 今朝の大崎タイムスは、第一面に「フランク永井(松山出身)故郷へ」と、大きな記事が掲載されていました。

新しい息吹きを感じる今日この頃ですが、昨日の強風が嘘のような穏やかな朝を迎えました。

ギャラリーの構内のトタン屋根が被害を受けましたが、息子に危なくないよう始末をしてもらいました。

最近は、主人もすぐに息子に手助けのSOSを出すようになりました。すぐ近くに息子が暮らしている事は私達にとって心強い事です。

主人は病気をする前は、何でも自分で手がける人でしたが、病気をしてからは、高上がりや、力仕事は息子に頼るようになりました。出来ない事は誰かに頼り、自分が出来る事は自分でし、役立つ分野がある事は良い事ですし、励みでもあります。

人間関係のことや、地域社会のことに以前より敏感になりました。

主人の病気がいろいろな事を導いてくれたように思います。私の言葉でいうと気負いがなくなりました。
人生が楽に感じるようになりました。

今朝の大崎タイムスを見て、今夏にもフランク永井さんの特設コーナーが「ふるさと歴史館」の一角に設けられる事になったことを知りましたが、先日、日立市の吉田正音楽記念館へ行ったばかりの私達は
不思議な縁を感じました。

フランクさんのお姉さんが松山町にフランク永井さんのゆかりの物 「267点を寄贈したい」と申し出たのだそうですが、、、、、、本当に驚きでした。

昨年、松山町ふるさと歴史館の企画展で、「松山町の芸術家たち」の展示があり、主人も作品展示をさせて頂きましたが、企画展の最後が「フランク永井展」でした。

好評につき期間を二度も延長して開催されました。県外から足を運んだ人もいて、フランクさんの人気が少しも衰えていない事に松山町は改めてフランク永井さんの素晴しさを見つめ直したようでした。

私も、教育委員会へ「フランク永井さんの記念館のようなものを是非つくってほしい」と要望メールを入れた一人でした。企画展の帰りにギャラリーへ立ち寄る方の感想をお伺いして、何とかフランク永井さんに
スポットを当てて、松山町出身の”歌手 フランク永井”の偉大さを後世に伝えて行きたいと真剣に思っていましたので、今朝のタイムスの記事には大喜びしました。

松山町民が待っている、懐かしい故郷へフランク永井さんが戻ってくるような感じを受けました。

まさに、フランク永井のデビュー曲 「恋人よわれに帰れ」~Lover! Come back to me.~の心境です。


しかし、今日は大変悲しい出来事にも対面しました。

ショックも大きいのですが、人の運命をつくづく感じさせられた一日でした。


今日のガンディーの言葉 「人生とは不確かなものである。死は現実であり、確実な事である。」

投稿者 jizai3 : 18:44 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 8日

春の強風吹き荒れて

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今日は、春の強風が吹き荒れる一日でした。ギャラリーの屋根は大丈夫かしらと思うほどのすごい風が吹き荒れました。昨日は穏やかな一日で、孫に窓拭きを手伝ってもらい、ぴかぴかのガラス窓になり春の到来を喜んでいましたが、今日の強風には恐怖を感じるくらいでした。「続松山町史」が完成しました。


春の季節風が吹き荒れる一日でした。

すごいゴーゴー、ピューピューという風の音に恐怖を感じるくらいでした。

ギャラリーの前の通りでは、ビニール袋などが飛び交い、下校のする小学生の子供達は、皆、下を向き飛ばされそうになりながら、集団で歩きにくそうに歩いて帰宅です。

「続松山町史」が、合併を目前に発刊となりました。

昭和55年に「松山町史」が発刊されてから、20年以上も経過し、松山町も変化を遂げていますので、「続
松山町史」を編纂する事になったそうです。

深い緑色のカバーをめくると、松山町を取り巻く自然溢れる環境がふんだんに盛り込められた空中撮影の写真が目に飛び込んできます。

目次を見ますと、第一章から第十五章までコンパクトにまとめられており、初刊の町史より大変読み易くなっておりました。

今日は、主人のことが書かれている、「第四章 教育文化」 第五節 国際交流 民間交流の中で、詳しく紹介されある箇所と、第6節 芸術文化 五、陶芸の項目でまとめて頂いた所を読みました。

一番下の孫が「じいちゃんすごいね!松山町の歴史に載っているんだね。普通は、死んでから載るんじゃないの。」と、言っていました。

「本当に町の歴史に陶芸家として載せてもらえて幸せだな。死んでからでは本人はもう分からないからな。」と、主人は答えました。「でも、真の芸術家は100年経って評価されたり、生きている時には、辛い人生を送る人は多いんだよ。」とも付け加えました。

「ゴッホ」の人生を初めて知った時、私は大きなショックを受けました。

ですからゴッホ画集をゆっくり時間をかけてみた時、晩年のゴッホの姿を想像し、何ともやりきれない気持ちになりました。

私の塾で働いていたI先生は、若い頃,美術関係の会社でバイトをしていた事があったそうですが、ゴッホに惹かれ、ゴッホの本を読み漁ったそうですが、知れば知るほど不幸なゴッホの生前の人生に涙が出たそうで、ゴッホを理解してからは、絵画を直視出来ず、ゴッホの事を話すと今でも涙が出そうになると、私に話す時にも声が詰まりぐっとなりながらしゃべってくれました。

一人の人間としてゴッホの人生を思うと、大変複雑で一言では話せません。

作者は亡くなっても作品は残りますが、評価の残酷さをも感じます。

不幸な作家はたくさんいますが、先日の同級会でも、「小野寺君が陶芸をするなんて考えられない。このギャラリーにある作品全てが小野寺君がつくったなんて考えられない。彼は器用だったかな?」と、首を傾げる今回初めての同級会参加の友人がいましたが、、、、、、、主人が言うように主人は幸せな作家だと思いました。

自分が生まれ育った松山町の町史に載せてもらえる幸せを大切にして、地元の粘土を素材として使い、小野寺重一らしい作品をどんどん制作してほしいと思います。

強風の今日は公立高校入試日です。  新しい第一歩を踏み出そうとするの若い挑戦が上手く行くこと祈ります。


今日のガンディーの言葉 「運命と人間の努力との間には、長く続くられる葛藤がある。努力を続けよう。
そして、その結果は神に委ねよう。」

投稿者 jizai3 : 14:21 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 7日

宮城県が誇る・絶景松島

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昼過ぎ、同級生達は古希のお祝いを済ませ帰ってきました。皆、大満足のとびっきりの笑顔で帰りました。幼馴染の素晴しさを目の当たりにして羨ましい限りです。主人は、たくさんの写真を撮って来ましたが、やはり松島は最高ですね。故郷を離れた竹馬の友は、松島の景色に涙したそうです。

観光船での湾内遊覧も素晴しかったそうです。

おやつとも昼食ともつかない「ぼた餅」は、古希の同級会を決して忘れないものにしてくれると、皆さんは話してくれました。

塩釜の有名なOさんのおはぎでした。私も多賀城にいた頃、良くだんごを食べました。

主人は「お母さんに半分残してきたよ」と言って寄こしました。すごいボリュームで驚きでしたが、美味しいおはぎでした。

夕べ、二次会終了は11時だったそうですが、同級生のY君は、「こんな楽しい会は、初めてだった。最高の同級会でした。」と、にこやかに報告してくれました。

行きと帰りの相乗りメンバーは、異なり、皆さん和気藹々で現地で解散した人もいましたし、逆に現地集合メンバーが故郷の空気を吸ってから帰ると、ギャラリーまで皆さんといらした方もいて、帰りもおしゃべりは一層拍車がかかりお別れしたくない様子でした。

何度も何度もお別れの言葉を交わしながら、古希を祝った同級生達は散会しました。

故郷を遠く離れて生活している方達は、「宮城県に来ると何とも言えない懐かしい気持ちになり、ホッとするね。」と、話していました。

離れて感じる故郷の景色、匂い、佇まいなのでしょうね。

M幹事さんも皆さんに「お疲れさんね。」と、ねぎらいの言葉をもらい、安心した様子でした。

楽しい楽しい同級会の思い出を大事にしてこれからもますます元気で、世間の人達にこんなに元気な70歳ですよ。くよくよなんかしていません。毎日を張り切って過ごしていますと、大いに見せびらかしてほしいと思います。

元気な高齢者達は、私達の人生の先輩であり、お手本ですから。

今日のガンディーの言葉 「精神は、善良な人々の仲間がいなければ、干上がってしまう。」

投稿者 jizai3 : 14:36 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 6日

風光明媚なところに人は集う

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ブログ写真上は、吉田正音楽記念館 5F展望カフェからの茨城県日立市の素晴しい眺めです。ブログ写真下は、展望カフェのメニュー「キャラメルミルク」です。ホイップたっぷりのミルクにト音記号が描かれていました。音楽記念館に相応しい飲み物で楽しい気分になりました。

今日は二十四節気の「啓蟄」 虫もそろそろ出てくる季節となりました。

今日、主人達は、宮城県の風光明媚な松島で、「古希稀なり-70歳」の同級会です。

午後、懐かしい友たちがギャラリーに集合です。

直接 、松島・ホテル一の坊へ直行の同級生もいますが、30名ぐらいの方々は、それぞれ車に便乗して松山球場、松山駅周辺をひとまわりしてから、一路松島へと向かいました。

本当に皆さん楽しそうな表情でにこやかでした。男性達は、女性の同級生がやってくると「あの人、誰だろう」と、小声で名前当てをしていました。

幼馴染は良いものだと聞きますが、羨ましいくらい良いムードでした。

今日の同級会は、57名の出席です。遠路からの出席者も多く、きっと素晴しい思いでたっぷりの故郷での話しに花が咲くことでしょう。

今夜は盛り上がること、間違いなしの雰囲気でした。

昨日は、茨城県日立市の素晴しい景色を堪能して来ましたが、主人は今日も素晴しい景色を眺め、風光明媚なところで大事な同級生達と集います。

70歳にしては皆さんお元気で、古希のお祝い同級会になるわけですが、主人は、今夜はフランク永井さんの歌を歌うと張り切っていました。

同級生の中には幼い頃、フランクさんと遊んだ人達がたくさんいますから、昨日の企画展の話を聞けば
吉田正音楽記念館へ関心を抱く人がいるかも知れません。

是非、来館してほしいと思います。フランクさんは松山町の誇りです。 あの歌声の素晴しさをもう一度、日本全国の人たちに伝えたいなと思っています。

「今夜のカラオケはフランク永井で行くか」などと言っている男の人たちもいました。

結束の固い、古希稀なりの人たちは、今夜ますます交友を深め、楽しい思い出作りをする事と思います。

小さな頃の友達は、本当の友達です。竹馬の友は、生きている限り友達です。

皆さんのこぼれる笑顔が輝いて見えました。そして、笑い声が溢れていました。

共通の思い出を持つ人たちの集まりが、楽しく楽しく過ぎてゆくことを祈ります。

今日のガンディーの言葉 「わざとではなく、心からの笑いは、本当の雄弁であると共に、スピーチよりも更に有効だ。」

投稿者 jizai3 : 18:25 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 5日

吉田正音楽記念館 ”歌手”フランク永井展 大好評

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今日は素晴しいお天気でした。片道4時間かけて2回ずつの休憩をとり、「歌手・フランク永井展」を企画している日立市の吉田正音楽記念館へ主人と二人で車で出掛けました。安全運転で渋滞もなく、素晴しい茨城の春を満喫して参りました。

最高のドライブ日和でした。

東北自動車道で郡山まで行き、磐越自動車道でいわきJCKへ、いわきから常磐自動車道で日立中央ICまで行き、かみね公園の頂上、レジャーランドのお向いの「吉田正音楽記念館」へ2回の休憩を取りながら4時間で到着しました。

日立市の素晴しい環境の中に吉田正音楽記念館は存在していました。

入り口だけが撮影OKで後は禁止でした。

吉田先生の等身大の写真と像はがっちりカメラに収めました。1階から4階まで全てのフロアーに吉田先生とフランク永井さんの思い出の写真を中心にして、吉田先生とフランクさんの人間同士の深いつながりが展示してありました。

私達は1階シアターでしばらく映画を見てから、2階、3階、4階、5階展望カフェへと上がって行きました。

ステージ衣装は2着、お気に入りのセーター、愛用のゴルフ道具などの展示もありました。

松山町での企画展と同じでビクターの犬はたくさんいました。写真は豊富で楽しそうなフランクさんの笑顔の素晴しい写真ばかりでした。

印象的だったのは、2階の「レコードジャケットの壁」いっぱいに飾られた、吉田先生の作曲、レコード数の
多さです。すごい枚数のレコードジャケットに圧倒されました。

それから3階のヒット曲を自由に視聴できるコーナーです。
ここで、吉田先生が、どれ程フランクさんを大事にしているかを知りました。

先生は、ジャズが好きなフランクさんを1年かけて歌謡曲を歌うよう説得し、フランクさんの歌声に惚れ込み、「場末のペット吹き」を作曲し、1957年 昭和32年「有楽町で逢いましょう」の大ヒットで、吉田先生は
作曲家として生きてゆくことを決意したのだそうです。

吉田先生も吉田先生の奥様も、「歌手 フランク永井の存在が、吉田先生に作曲家として大きな自信を与えてくれた。」と、話していらっしゃいました。

視聴コーナーは、5台ほどの機械でそれぞれに視聴できるようになっていますが、お隣の機械の音がすぐ近くにあるので、もう少し配慮があればとは思いましたが、、、、音は素晴しく良かったです。

画面は、吉田正先生の門下生を選ぶ事が出来、選んだ歌手の歌声を聞く事が出来、プロフィール、エピソード、吉田夫人の思い出、、、を選択して視聴できます。

私達の時には、殆どの人がフランクさんを選び、フランクさんの歌声に涙している人もたくさんいました。

本当に素晴しい歌声で大勢の人を魅了した昭和の偉大な歌手だと改めて思いました。

5階の展望カフェで、吉田正音楽記念館の主任・半井 進さんとお逢いして名刺交換をしました。
フランクさんの故郷 宮城県松山町からの来館を大変喜んで頂きました。

4月10日には、吉田先生の奥様貴代子さんと、フランクさんのお姉さん美根子さんも音楽記念館に来館してこの展望カフェでトークショーをするそうです。

今回のこのフランクさんの企画展は大好評だそうで、「たくさんの方々に来て頂いております」と、話して下さいました。

今日もたくさんの人々がいらしていて、音楽記念館の駐車場は満車で、主人は頂上の駐車場へ車を止めました。

この公園内にはいろいろなところに駐車場が散在しているのでとても便利でした。こんな公園の駐車場も利用しやすいなと思いました。

今日は、若い人たちも、作曲家を目指す小学生もパソコン上で作曲を体験したり、高齢者の人も、いろいろな年齢層の方々がいらっしゃいました。

展望カフェからの眺めは、最高でした。お客様も歓声を上げ、眺めにも満足していました。

甘い「キャラメルミルク」の味は、フランクさんの歌声と見事にマッチして美味しかったです。

今日のフランクさんの歌声は私の心の奥深い所に響きました。

今日のガンディーの言葉 「音楽は喉からのみの発声ではありません。それは、心からであり、感情であり、心の中からの音楽なのです。」

投稿者 jizai3 : 21:10 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 4日

愛着の気持ち

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4年ほど前に銀座をぶらぶらした時に、ぬいぐるみやさんで見つけたネコです。時々ギャラリーにいらした小さなお客様から「ほしいー!」って言われますが、優しくお断りしています。今日もお母様とご一緒の可愛いお客様からおねだりされました。3ヶほどありましたが、もう今はこのネコだけとなりました。

何かに愛着を感じる。

「手離したくない」と、いう気持ちを体験した方は、大勢いらっしゃる事と思います。

幼い頃を思い出せば、自分がどんなものに愛着を感じ、何を大事にしたかによって性格が解るという友人がいます。

私は、さも無いものを大事にしていました。例えば、きれいな空き箱、きれいな紙テープ、お化粧品の空き瓶、クリスマスの小さなろうそく、ハンカチ、そしてぬいぐるみ、、、、、でした。

性格当ての友人は私のことを、「まず一言で言うとケチな性格で、食べる事には困らないと思う。それは、食べる事には興味がない人だから。」と、言っていました。

ケチと言うと何か嫌な感じですが、まあ、当たっています。「節約か」とか「倹約か」と、よく言われていましたから、、、、、。

結婚したばかりの頃は、お買い物の時には必ずメモ書きしたものを持って買い物をしていましたから義母
には、「京子さんは、しっかりしているね。」と、お褒めに預かりました。

メモしたもの以外は、買わないようにしていましたが、主人と一緒の時には、無理でした。次々と品物を
買い物かごに入れるので増えて困りました。主人はお買い物大好き人間です。

何かに愛着を持つ事は良い事だと思います。執着し過ぎるとマイナス面も出てきますが、、、、、。

幼い子供時代に、おもちゃ屋さんに置いてある、通称「ガッチャンコ」から出てくるおもちゃを集めた子供は多いと思います。
私の実家でも甥や姪の幼い頃の宝物が捨てられずに今もあると、義妹は話していました。

小さなおもちゃは子供達にとっては大事な宝物で、「大きくなったらウルトラセブンになるとか、ガンダム、
がいい。リカチャンになりたい。、、、」とか、夢見る夢男くん、夢子さん時代の楽しい思い出がたくさん詰まっています。

時々思い出してみる事も、楽しいことかも知れません。

幼い頃の自分と出会うことは、恥ずかしい事でもあり懐かしい事でもあります。

ギャラリーで人気のこのネコは、ひょうきんな感じで、見るとホッとするのです。

だいぶ前にぬいぐるみはやっと全て卒業しましたが、このネコだけはしばらくの間、そばに置きたいと思っています。


今日のガンディーの言葉 「私の物とか、貴方の物とかの見地から考えている人は、、生まれ環境から逃れる事は出来ない。」

投稿者 jizai3 : 17:23 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 3日

3月3日・ひな祭り

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今日は、3月3日女の子の節句、雛祭りです。部屋の中は暖かですが、風が冷たく寒い一日です。
買い物の帰り、主人が雛祭りだからと言って、耐寒性の一年草 「プリムラポリアン」を買ってくれました。お雛様のイメージの色 ピンクの鉢が春色でお花も桃色、ひな祭りの今日は花盛り 春盛りです。

子供の頃、3月3日は楽しみでした。

大きなひな壇の前で、五目ちらし寿司を頂いたり、あられを食べたり、歌を歌ったり、私は子供達の中でたった一人の女の子でしたので、誕生日と雛祭りはとても嬉しい家庭行事でした。

幼稚園で働いていた頃も、「うれしいひな祭り」の歌が大好きという子供達は多く、一年中、季節を問わず人気のある歌でした。特に女児には好まれていた曲目でした。

私もこの歌は大好きな歌でした。今、聞いても何となくうきうきの気持ちになる歌です。

今日はある雑誌に、「女子の任務は偉大である。国を支えているのは女性の力」というような事が書かれてある文章を見つけました。

3月3日 女の子の節句に相応しい文章だなぁと思いました。

私の育った環境では、どちらかというと女性の方が力があり、女性上位でした。しかし、嫁いだ小野寺の家は、どちらかというと男性上位の家で、男性は夕食のおかずも一品多くというような家庭でした。

疑問に思いおばあちゃんに、「どうして男の人にだけお魚ついて、女の人には付かないの?」と聞いたら
「男は外で働いているからね。」という答えが返ってきました。

それ以上は、何も言いませんでしたが、実家ではそのような事は一度もありませんでしたし、私の弟などは、私に対してはいつも「女だからって威張るなよ。」と言い、私は「女から生まれたくせに。女の方が偉いんだから。」・・・・・・・・・と、よく口げんかをしていました。

何かにつけて小野寺の家では何となく男の人のほうが偉いという雰囲気はありましたが、、、、、、。本当は人間としては平等で、性差を生かして協力して生きることが一番良い事だと思います。

そんな中でも、主人は生きる上で、「女性の力は大きい」と、いつも女性を認めている人間です。

でも、私が出逢った人達の中にも、女性に生まれた事を卑下したり、必要以上に男性である事を威張ったり、女性を劣性と決め付けたり、、、首を傾げたくなるような事を平気で言う人たちもいました。

私はお互いを認め、受け入れ、そして協力して一緒に生きることがベストで、お互いに自分の性の違いを認識しあい、そして性の違いに誇りを持ち、本質的な違いを大事にする生き方が大切で、本質が違う人間同士が仲良く生きることができれば、素晴しい人生を送ることが出来ると思っています。

3月3日の今日は、女性に生まれたことを心から喜べるおんなの人達がいっぱいであることを祈ります。

フランク永井さんの歌に~「女であること ああ 夢見る」~という歌詞 「こいさんのラブ・コール」があります。その中で、大阪の町、東京の町、そして幸せの町というフレーズがありますが、その前には「さいなら」とあります。

事情があってお別れしても「女であることを夢見る」と、いう甘く切ない歌詞で、甘いメロディーの付いた、とてもフランクさんらしい曲目で、ロマンテックな感じのする歌です。

この詩にあるように、いつでも夢見る女性でありたいものと思います。


今日のガンディーの言葉 「人が我々を、夢見る人達とみなしている事が、どうしたというのか。」

投稿者 jizai3 : 12:58 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 2日

春の雪はすぐ消えて

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昨日、弥生3月、雪の朝の様子です。昨日は、内部エラーの発生により、ブログはお休みとなりました。
御心配をおかけ致しました事、お詫び申し上げます。この季節の変動で体調が悪くてと、言う人達の話をお聞きします。お気をつけ下さいね。昨日の雪の名残りは今日は見当たりません。「春の雪」でした。

昨日は、雪の卒業式となりました。水分の多い雪で足元が怖いと言っている人の声を聞きました。

旅立ちの朝は、「春の雪」でした。

昨日の河北新報「持論時論」に古川学園の阿部澄江先生が投稿なさっていました。

卒業シーズンに相応しい記事で、現役の高校の先生が子供達に本気で何かに挑戦をして、その中で強く生きる力をつけ、一人一人が「輝ける日々」を自らの手でつかみ取ってほしい。明るく笑顔で挨拶が出来、心の触れ合いの中で社会に貢献してくれる事を切に願っていますと、温かいエールを贈る文章が掲載されていました。

阿部さんとは、今年の年明け 1月6日に古川警察署の感謝状授与式でお逢いしました。

共に並んで記念写真に納まった間柄です。良く新聞に投稿なさっていて、文面からも優しいお人柄が感じられる方です。

私の叔母の知り合いで、阿部さんの事は何度もお聞きしておりましたので、古川警察署でお逢いしたのが初めてとは思えないくらいお話をしました。阿部さんも叔母から私のことは良く聞いていたらしく、大変親しく短時間の会話を楽しみました。

阿部さんのような方が、子供達を指導なさっていることは、大変ありがたいと思いました。

いろいろな事に挑戦する事で自分に合うもの、好きなもの、情熱が傾けられるものに出会うはずという考えに、同感です。いろいろトライもせずに、自分で勝手に線引きをして、自分が何に向いているか良く分からないという若者の声を良く聞きます。


そんな時に私は、いろいろやっているうちに面白いと思うものに出会えるはずよと答えています。

人生は生きていれば何度失敗しても、やり直しは可能です。

失敗を恐れない気持ちが大事です。


阿部さんは、子供が迷わないよう、「これだけはやらないように」と、言ってやる事も時には大切と、話していらっしゃいました。そして、親の価値観を示す事も大事とありました。

本当にそう思います。何を大事に思い生きて行くかということは、人生を語る上で大切な事です。

自分の親が大切に考える事を、子としてどう考えるかは、とても大事なことだと思いますし、親を理解する上でも大事なことだと思います。

自分が主役の人生をどう考えるか。自分と同じように相手も主役の人生をどう受け入れてゆくか。

この阿部先生の投稿には、これからを生きてゆく若者達を温かく励まし、”失敗を恐れない挑戦者であれ”と、後ろから愛情溢れる指導者として見守り続ける先生の心が感じられました。

季節が大きく変わる春、3月に相応しい記事を読み心和む時間を過ごさせて頂きました。

今日のガンディーの言葉 「真の愛は、どんな疲労をも取り除く」

投稿者 jizai3 : 18:35 | コメント (1) | トラックバック

2006年3月 1日

旅立ちの朝・3月1日は雪降りのスタート

サバーにトラブルがあり、3月1日はブログはお休みとなりました。
ご心配をおかけして大変申し訳ございませんでした。
これからも宜しくお願い致します。風邪が大流行の様子ありです。くれぐれもお気をつけ下さいね。

投稿者 jizai3 : 12:07 | コメント (0) | トラックバック