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2008年1月20日

「懐かしの名曲もう一度」に、℡お問い合わせが増加傾向!

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第1回「フランク永井歌コンクール」のポスターを貼り出し、又、大崎タイムス社の記事が出てから、お問い合わせ℡が増えてきました。今年になってから30件を越しています。出場者の方からの℡も増えてきましたが、昨日は「素晴しい企画ですね。以前、松山の企画展でフランク永井の歌を聞き良い歌、本物の歌声は歌いついで行かなければと思っていたので、歌コンクールは本当にいいことですね。成功を祈ります。」と、励ましのお言葉を頂きました。

日本が戦争に負け、全てを失い、衣食住がままならない状況の中でも、大衆は歌を忘れませんでした。

「歌は世につれ、、、、、」と言いますが、人々はどんな最悪の環境に置かれても歌を歌うことを止めませんでした。

ラジオ放送が始まって80年になるそうですが、父や母からも「ラジオ歌謡」という言葉を何度も聞いたことがありました。母は、「ラジオ歌謡」が大好きだったそうです。

母の妹である私の叔母は、仙台空襲の夜、真っ赤に染まった仙台市内の空を見て♪うさぎおいし ふるさと♪と涙を流しながら歌ったそうです。今でも、”ふるさと”を聞くと、空襲で真っ赤になった仙台市内と、自分が眺めていた高松の古い家を思い出すと、言います。

戦後、日本はハイスピードで経済成長しました。

経済成長の中でも、昭和30年代から20年続いた”高度成長期”は、日本人に豊かな暮らしを強く印象付けました。我が地域(旧松山町)出身のフランク永井さんは、この時期に大活躍をした歌手です。

昭和歌謡の黄金時代を築いた大歌手なのです。

フランク永井は歌を歌うことで、人々に夢や憧れを抱かせました。この偉大な昭和の低音歌手の素晴しい楽曲をいつまでも残してゆきたいという熱い思いで、今回の「フランク永井歌コンクール」が企画されました。松山地区で暮らす人々にとって、あの素晴しい歌声は誇りです。NHKの紅白歌合戦にも1957年から82年まで連続26回出場を果たしました。

フランク永井は歌を歌うことで自分の夢を具現化し、歌手になることで自己実現を果たしました。

良いものは、時代を越え、人々の心に響く力を持つものだと確信します。

私達、フランク永井歌コンクール実行委員達は、この強い気持ちに後押しされて、その気持ちをまちづくりに活かす為に、ただ今、春3月の「フランク永井歌コンクール」に向け活動中です。

第1回「フランク永井歌コンクール」は、このフランク永井さんの名曲を歌うことと、素晴しい歌の継承が、まちづくりの活性化に役立つものと位置づけ、今までの茂庭のお殿様、城下町 旧松山町の歴史に新しい大崎市松山の歴史を加えたいという思いで企画しました。

多くの人々の出場を心よりお待ち申上げます。

若い方も、これを機にフランク永井の歌を覚えて挑戦していただきたいと思います。

今日のガンディーの言葉「もしも、我々が、我々のアイデアを見捨てなければ、そのアイデアは、決して我々を見捨てはしない。」

投稿者 jizai3 : 2008年1月20日 16:51

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