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2008年9月12日

「敬う」という行為の大切さ

今朝の河北新報社の「持論時論」に飴屋義敏先生の投稿文が掲載されていました。「敬老の日」に因んで敬老を祝う本当の意味を考えてという飴屋先生のおっしゃる「尊敬する能力」を持って生きることが人としての幸せの道と、文化人らしい飴屋先生の言葉に大変共感いたしました。

今回、飴屋先生に101歳のお母様がいらっしゃることを初めて知りました。

先生は、言葉遣いが大変丁寧で、私のような年下の者に対しても丁寧な落ち着いた語り口でお話をして下さる先生です。

一度だけですが、飴屋先生の歌を聴いたことがありましたが、人間の尊厳を重んじるような力強い歌声で、大地から響き渡るような素晴しい歌声で歌曲を歌い上げる表現者でした。~~とても感動しました。~~

今日先生は、プライドを失っていないお母様のことをお書きでした。

先生は、まるで看護士の声かけに反応を示さない場面で、看護士に「敬語を使って話してみて下さいませんか。」と言ったそうです。看護士が言われたとおりにすると101歳のお母様は頷いたそうです。

同情や恩着せがましい親切だけでは幸せになれないお年寄り達が私達の周りにはたくさんいることを先生は伝えていらっしゃいました。

私も幼児教育者としての経験からいつも思っていたことでしたが、高齢者の方々に接する施設関係者や、ディサービスを担当する職員達の言葉づかいが大変気になっていました。

高齢者の方々には人として長く生きてきた年月の歴史があるのに、まるで、3歳か4歳の子供にでも話すような言葉遣いをしている専門職の人々がたくさんいます。

すごく耳障りで、私は何度か注意をしたこともありました。

多少認知症の症状が出ている方でも、敬って発せられた言葉か、そうでない言葉かは解ると言います。

仙台で暮らす叔父が(時々痴呆の症状あり)立派な施設のディサービスを見学の時「俺はこんな所へは二度々来ない。何だあの言葉遣いは、、、年寄りを馬鹿にしている言葉だ!」と大変怒っていました。

人一倍プライドを重んじて生きてきた人だけに、「あんな失礼な人たちの、お世話にならずに死んでみせる!」と言い、あの日を境にますます依怙地になってしまったように見えます。

「敬う」ことは人間にとって大きな文化財であると飴屋先生はおっしゃいます。

そして、日本が真の文化国家になる為にも、敬老の本当の意味を「敬老の日」にみんなで考えてみましょうと、飴屋先生は呼びかけていらっしゃいました。

日本のお年寄り達の表情が暗い根本原因に気づくような飴屋先生の投稿には、人が何かを伝える時の言葉が持つ本当の力を見直し、改善しなければいけないと思いました。

そして、又、「敬う」行為とは、お年寄りと接する時だけじゃなく、誰に対しても相手を認めて接することの大切さと、言葉を通してのコミュニケーションの重要性を再認識することが、文化人として生きる第一歩であることを教えて頂いたと思いました。

人間にとって言葉はとても大切なものです。

私も、正しい言葉遣いを心がけて生きなければと強く思ました。

今日のガンディーの言葉「真実を話すには、繰り返し、繰り返し、自分の言葉を良く考えて言わねばいけない。」「心にあることは、遅かれ、早かれ、必ず出てくるに違いない。」

投稿者 jizai3 : 2008年9月12日 10:20

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