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2008年10月31日

可能性を信じる事の大切さ

「純和風旅館」をモットーに温泉番付東の横綱に輝く鳴子温泉郷の宿に飾られていたお花です。見応えのあるお花で、この宿の心意気を表わしているようでした。鳴子に向かう途中、吉野作造記念館に立ち寄り、頼んでおいた飯尾 潤先生の本を受け取りました。

飯尾先生の本をよく読んで感じた事は、飯尾先生が日本の政治に大きな可能性を見い出しているということでした。

官僚内閣制から政権交代可能な議院内閣制へ日本の統治構造を変えることで日本の政治がもっと良くなるはずと政治の可能性を強く信じている先生のお考えが講演を聴いた時よりもより深く理解できました。

根底にある「デモクラシー」が如何に大切なものか、吉野先生の精神は今の時代に脈々と流れ、吉野先生の政治理念を引き継ぐ人が存在する事を嬉しく思いました。

人民が主権を持つことの重要性を考える時、私は、有権者である私達が日本国民として成長をしてきただろうかという疑問を持っています。

日本のデモクラシーが成熟していたなら、こんなにも一党の長期政権を許さなかったはずだと思います。しかし、この長期政権は、カメレオンのように色を変え、政権交代をしなくとも目まぐるしく政策転換を図り、本来の議院内閣制という制度まで歪めて大きくなり過ぎてしまったような気がします。

この度も麻生首相は、ゆがんだ形での政策を発表いたしました。

これこそが飯尾先生の指摘どおりの政権交代しないでの政策転換だと思いました。

以前の日本人はみんな貧しく、食べる事に一生懸命だった時の政治家達は、国民の幸せを一番に考え、優秀な官僚たちも国民の公僕として仕えるという志を持ち公務員という道を選び日々の仕事に励んでいました。

現代は、議員も官僚も国民の生活とはかけ離れたところで、誰も責任を負わない決定事項を国民に押し付け、思わしくない事の尻拭いは全て国民へと当たり前のように廻してよこし、本当に腹の立つ事ばかりです、、、、が、突き詰めると、私は、大枠で「教育」の貧困という壁に当たってしまい、身動きが出来ないで圧迫感に押しつぶされそうになっている日本の義務教育の存在が心配でなりません。

”人間として”ということが疎かにされていると思います。

昨今起きるいろいろな政管の不祥事は、政治家である前の人間性に問題があり、官僚である前の一人の人間性に問題があるように思えてなりません。

そんな中で、昨日お世話になった和風旅館には旅館として千年もの間、湧き出る湯を守り通している温泉旅館としての「誇り」がありました。

人間は誇りを失うと堕落することは簡単なことだと思います。

これからは、誇りを失うことがどんなに恥ずかしい事かを、幼い時から良く教え込み、誇りを持ち続けて生きてさえいれば自己の可能性に必ず出逢えることの喜びを信じられるような生き方が出来るような社会環境を整えることが一番大切な事だと思います。

その為には大きな変革期にある今日の政治のあり方を真剣に考え、50年先、100年先の未来の日本がどのような国であるべきなのかを、みんなで話し合い、情報共有をし、情報がきちんと吸い上げられるようなネットワークを作り、透明性と公開性を原則に国政も地方自治も行なわれれば、成熟さを増したデモクラシーに期待できそうな気がします。

政治家、官僚、マスコミ関係者、そして一般国民が、それぞれの立場で自国を良くすることを真剣に考える変革期に差し掛かっている事を良く認識して言動することが求められていると飯尾先生の著書は導いています。

今日のガンディーの言葉「迷信と真理は、共に進む事は出来ない。」「真理は確固たる信念が常に伴っていなければならない。」

投稿者 jizai3 : 2008年10月31日 10:17

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