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2009年8月15日
戦後64回目の終戦記念日を迎えて
大崎市松山駅前付近から撮影したのどかな風景です。今日は戦後64回目の終戦記念日です。昨日は地域の夏まつりでしたが、、、夜には終戦記念日の番組が多く、BSでは、私が読書好きになった感動の物語「ビルマの竪琴」が放映されていました。
今日は、「夏草や つわもの共の 夢のあと」芭蕉の句が似合う終戦記念日です。
偶然ですが、夕べは「ビルマの竪琴」をBSで見ました。この小説は、私が小学4年生の頃に読んだものですが、本が大好きになるきっかけになった小説でしたので、大変興味深く見ました。
音楽の素晴しさと、自分の気持ちに忠実に生きることの”苦”を感じた物語でした。
いつも亡くなった父には物心がついた頃から「8月は、戦争で犠牲になった人の事を考える月にしなさい。」と言われて育ったので、8月は、出来るだけ戦争のことが書いてある物語を読むようにしていたのですが、、、、「ビルマの竪琴」の主人公の生き様には、日本に帰れる時が来たのに、帰らずに亡くなった日本兵の屍を葬ることに残された時間を費やそうと決断した水島二等兵の生き方に、、、お釈迦様は「人生は苦である。」と語ったという言葉が真実なものとして心に残りました。
私は何故、お釈迦様は「人生を苦」と言ったのだろうと思っていましたので、水島さんの人生の選択なら"苦”であると思いました。
亡くなった人はもう仕方ないと割り切って帰国することが出来たのに、あえて大変な道を選択してしまった主人公のことが長いこと気になっていました。何度か読み直しましたが、、、、いつも同じで自分の気持ちに忠実に生きることの大変さを感じるばかりでした。
「ビルマの竪琴」の前には、現代の若者たちを前に小説家の五木寛之さんと女優の奈良岡さんと、大学教授の方が64回目を迎える終戦について対談をしている番組がありましたが、戦争体験者のこの三人の方々は、「日本が戦争に負けるとは思っていなかった。正しい戦争だと思い込んでいた。」というようなことを話していて、まるで私の父親とそっくりな意見でした。
軍人だけじゃなく、国民もみんな同じ方向へ顔を向けて足並みを揃えて歩いていた時代だったのだと思いました。嘘ばかりの「大本営発表」を鵜呑みにしていた怖さを感じました。
日本は、原爆を投下される前に、東京大空襲や沖縄戦など、白旗を掲げるチャンスが何度かありながら、、、、、そうしませんでした。
国民を死なせるようなことを二度としてはいけないことだと強く思いました。戦後60年以上経つて、最近では、これまで口をつぐんでいた人たちが戦争の話しをするようになってきています。
殆んどが高齢の方々ですが、、、皆さん、あの頃のことを良く覚えていらして今も心を痛めていらっしゃいます。
たくさんの兵士を死なせてしまったあの当時上官だった方がすごく自分を責め、楽しい事は出来るだけしない生き方をしている現実を知り、、、生き残った方々の苦しさが胸に迫りました。
「戦争は、どんな理由があろうとも二度としてはいけません。」と言葉を詰らせて話す戦争体験者達の苦しさは、ビルマに残った水島さんと同じ苦しみなのかなと思いました。又、生き残った人達の心の中には、何かしらの暗さがあり、その部分には目をそむけて生きてきたような共通点があるようでした。
64年の終戦記念日ですが、、、、ずっと戦争を引きずって生きてきた人たちから私たちは、きちんと話しを聴き、戦争の悲惨さをしっかりと受け止めて、次世代へ繋ぐことをしなければと思う終戦記念日でした。
今日のガンディーの言葉「人間の身体は楽器に似ている。その音も又、楽器で忠実に表現される。」「政府が耐えられないほど悪化した時、人は政府に対して非暴力の抵抗を申し入れるべき、個人の自由さえも犠牲にします。」
投稿者 jizai3 : 2009年8月15日 11:08
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