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2010年3月23日

「縁」を感じさせる出会い

昔から、「縁」には良縁と悪縁があると言われていますが「悪縁は早く断ち切った方がいいと思うよ。」と言い張っていた友人が先日亡くなりました。良い種をまくのがで、によって成長して、やがてとして実になると説明をしていました。

「因果応報」という言葉を良く使っていた友人は、だからこそ「縁」が大事、、と言っていました。

良いご縁で出会った人は、幸せだけれども、悪縁で出会った人は、幸せになることはないと言い、同級生達からは「言い過ぎ!」と批判されていましたが、、、私は、彼女の言うことが正しいと思っていました。

人の力では、悪縁を良縁に変えることなどは出来ないし、悪縁と感じたら交際を絶つのが一番良いと思っていましたので、、、一度も彼女の言うことが言い過ぎなんては思いませんでした。

正しい目で人を見ることは難しいと言われますが、それは「自我」と「執着心」が邪魔をするからだと言っています。彼女はキリスト教と仏教に興味を持ち、いつもたくさんの宗教の本を読んでいました。

我も執着心も自分のこだわりの心が強すぎて、、、目の前にあるものが正しく捉えられなくなる心が曇ってしまう病気のようなものよと言い、この病には誰もが罹る可能性があるのよと、言って笑っていた姿が懐かしく思いだされました。

最近、私も悪縁と思われるような出会いを経験致しました。

長くはお付き合い出来ない人という思いを持った方との出会いでした。

やはり、独りよがりで執着心が強く、そのこだわりには病的なものを感じてしまう方で、これまで一度もお逢いしたことの無い人と感じられるような雰囲気がありました。

普段はあまり感じていなかったのですが、或る事に関すると、途端に思考停止状態になるようで、、、大変理解に苦しみます。

しかし、今は、或る事に関してだけは、同じ土俵では話せない人と割り切って付き合うようにしていましたら、、、、あまり気にならなくなりました。

こちら側の見方を少しだけ変えるだけでとても楽になるものなのですね。

そのように考えますと、悪縁でも良縁でも、どちらも「縁」。

縁を大切にする生き方を自分の方で心がけることが、苦手な人とも上手くやってゆけるコツなのかなと思えるようになりました。

不思議ですが、、話すことで心が隔ててしまう人と、話すことで歩み寄れる人と、同じ話すという行為の中で、差異を明らかにしてしまうことって大事な協議のなかでは起こりうるものなのですね。

いくつになっても新発見出来るものがあることを面白いと感じている私です。

今日のガンディーの言葉「もし、正当な思案の後、良き判断をするのでなかったら、人は良いと思った決断でもしてはならない。良い決断を捨て去る事の無いようにしよう。」

投稿者 jizai3 : 2010年3月23日 12:55

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