« 一時ですが、余震の怖さを忘れて見入ったTVで観た映画「ブラッド・ダイヤモンド」 | メイン | 雷が鳴り、茨城県付近では強い余震が、そして大崎市の昼はまるで夕方のような暗さに… »

2011年4月15日

簡素化して行われた松山地域の鎮守さま羽黒神社春季例祭


今日は、例年行われている大崎市松山地域の鎮守さま羽黒神社氏子総代会総会は5月に延期ということにして…羽黒神社の春季例祭が行われました。

羽黒神社でも、社殿や境内構造物などの破損があり東日本大震災の被害が少なくないということで、簡素化した中でも神事に則り春季例祭を執り行ったそうです。

事前案内のお知らせ文で、今年は神輿渡御を行わず、寄付金(献膳料)も頂きませんということが伝えられ、御神符(お札)だけは頒布しますということでした。

毎年、総会後の午後には天狗様が先導する神輿が出て、笛や太鼓の音色が松山地域内に響き渡るのですが…今年の春季例大祭はとても静かで…物寂しい感じです。

今年は主人の帰りも早く、お酒も無かったそうでした。

丁度、一番下の孫がギャラリーに着いた時でもありましたが、孫も子供の時は「羽黒神社のお祭りが楽しみだった!」と話していました。

孫のSは、岩沼の会社の寮で生活をしていますが、大震災後も何不自由なくいつも通りの生活が送れたそうです。

但し2週間だけ工場が元に戻る間だけ仕事なしの状態で退屈だったと話し「仕事が出来ることは幸せなことだと思った。」と話していました。

被災地の工場再開でいち早くNHKが報道した工場でした。

丁度、私たちもTVを見て「Sの会社だね。再開出来て良かったね!」と話したことを伝えました。
頑張りの先駆けになって勇気をもらったという反響もあったそうです。

孫の会社では、社員の中には住むところを流されたり、自宅が半壊状態で住めないので、今も家族が寮で一緒に生活を送っている人もいるそうです。(6畳の部屋に3人もいるんだよと言っていました。)しかし、家族も社員も「寮があって助かる!」と大変感謝しているそうです。

Sは、思わず絶句してしまうような悲惨な状況も見たそうです。

高速道路にも、段差注意の標識があり、すごい段差の所もあったと話していましたが…こちらに向かう道路は渋滞していたそうです。

孫は、昼食を共にし、タイヤ交換だけをしてから職場のある岩沼に戻りました。

帰り際に「今回の地震は、人生観を変えたね。将来のこといろいろ考えさせられたよ。」と言いましたので「考えさせられるような体験を活かす生き方をしなければね!」と言って別れましたが、私たちだけじゃなく、20代前半の若者たちまでもが、今後の生き方を深く考えるようになることはいい事なのかなとも思ったりしました。

「ピンチはチャンス!」という言葉を呪文のように唱えている人がいるとも聞きますが…負けない心はとても大事だと思います。

~~音楽で伝えたい~~というコーナーで本田路津子の「一人の手」という歌を聴きました。

♪一人の小さな手 何もできないけど みんなが集まれば 何かできる 何かできる♪という歌詞に励まされている人々が沢山いることを知りました。

久しぶりに聴いてみて…私も歌詞は良く知っていて、歌えました。
すごくいい歌だなと思いました。

今回の大震災に関しても、日本人皆が力を合わせればきっと立ち直れると本気で思えるような歌でした。

今日のガンディーの言葉「親切で寛大であることが(神そのもの)慈愛である。」「どんなに台風の暴風雨が大きくても、海は、その半面の静けさを捨てはしない。」

投稿者 jizai3 : 2011年4月15日 16:55

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)