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2011年6月24日

「片付けが一番先!」というボランティアさんの話に頷いて…


湿度の高い一日となりそうな朝でした。

午前中は主人と二人でいろいろとギャラリーの片づけをしました。

節電の効果なども確かめながら、無駄が無いかどうかも調べました。

そこで気づいたのが、ギャラリー入り口の自動ドアですが、開けっ放しの方が空気の流れが良くなるし、節電にもなるということで電源をoffにしようと思い電源を探したのですが、なかなか見つからず、苦労しましたが、やっと見つけることが出来て電源をoffにして…自動ドアは開放のままにしました。

風通しが良くなってとても涼しくなりました。

午後には沿岸部を中心にしてボランティア活動に励んでいらっしゃる方にお話をたくさん伺いました。

彼は「まずは、片付けが一番である」とおっしゃっていました。

「一に片付け。二に片付けですよ。きれいな空間をつくらなければ、なにものもつくれませんよ。きれいにするといろいろな構想が浮かんでくると思います」と現場を良く知る人の言葉に頷きながら、苦労話なども聞きました。

今朝は早くに長年の付き合いのある工務店の社長が来て下さって、我が家でも地震による依頼事がありましたので見て頂きましたが「何事も遅い。なんでこんなに時間がかかるんだ。非常時なのに…」という話しを聴き、大崎市の行政業務が非常時に機能していないことを知りました。

「何もかも初めての出来事だから仕方ないと言えば仕方ないんだけどね~」と言いながらも「もう少し何とかならないものか」と気を揉んでいらっしゃる様子が窺えました。

現場第一主義で事をどんどん進める体制づくりをしないと駄目だという意見には大賛成です。

現場を見ていない、あるいは見ても気づかない人や、現場を知らない人では話にならないと思います。

いつも現場にいて、現場の辛さを理解できる人物が指揮命令を出すようにすべきだと思います。

そのような観点からいうと、原発問題だって同じだと思います。

被曝のことを心配している人々に向かって、自分たちは常に安心安全なところにいて「今のところ、健康被害に問題はありません」とおっしゃいますが「今は良くても、その後はどうなるのだろう」と不安になるのは人として当たり前のことだと思います。

本当に安心安全であるなら、社会的メッセンジャーは、その場に住み、そこで毎日の生活を送り、その場所から情報を発信してほしいものだと思っている私です。

もうすぐ、7月になろうとしているのにまだまだ多くの瓦礫も片付いておりませんし、福島第一原発問題も収束していません。

今年の梅雨は、一段と蒸し暑さも増して気持ちも憂鬱になりがちです。

大震災後は、いつも心の奥深い所に何かが渦巻いている感じでスッキリと晴れやかな気持ちになれません。

今朝は、東京のお友達とも℡で話したのですが…彼女も「あの日以来、いつも心の奥に何か塊のようなものがあって晴れ晴れとしない!」と言っていました。

瓦礫の山がきれいに片付いて、福島第一原発が収束をすれば、その時は晴れやかな気持ちになれるのだろうかと思ってみたりするのですが…

でも、原発問題は、そう簡単には解決しないだろうと思います。

原子力の問題は、一度事故が起きれば、止める、冷やす、閉じ込めることが困難であり、これまでは、事故は起きないものと多くの国民を騙し、原子力に対し安全神話を作り上げていましたが、それが崩れ落ち、一度事故が発生すれば人間の力で、原子力は暴走を止めることが出来ない機械であることを知ってしまったからには、国民の気持ちが脱原発へ向かうことは止められないと思います。

多くの国民は、少々の不便さは我慢しても安心安全で平和な暮らしを望んでいるのですから。

今日のガンディーの言葉「我々は、何かを差し出そうとする時、自分自身の真なる部分を差し出さねばならない。」「自分の過ちを自分の過ちとしない事は、その過ちを繰り返す事になり、その過ちを隠そうと、更なる罪を犯す事になる。」「他を思う時、唯、自分自身を思うことさえ休止するだろう。」

投稿者 jizai3 : 2011年6月24日 14:45

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