2011年7月31日
「原発からの撤退を」の意見書一票差で可決して総理大臣らに送付した大崎市議会の活動!
今朝の新聞折り込みチラシの中に6月定例会市議会報告(日本共産党大崎市議会議員団)が入っていました。
「原発からの撤退を求める意見書」が一票差で可決した事は知っていましたが…誰が原発賛成で誰が原発反対議員なのかは知りませんでした。
脱原発に反対している議員が誰なのかを知りたいと思っていましたし、賛成17。反対16。という大崎市議会の可決には一市民としては大いに関心を持っていましたので…今朝の市議会報告書は大変助かりました。
あのような悲惨な、福島第一原発事故が起きても「狭い国土の日本では原発を無くすのは無理である。」「安全保障上 危険。」と、本気で考えている市議会議員が予想以上多いことが、私にはとてもショックでした。
市民の代弁者であるはずの市議会議員との考えの違いに大きな隔たりがあると感じてしまいましたが…原発反対議員の名前を見て少し納得できる部分もありました。
でも、一票差であれ可決出来て、総理大臣と衆参両院議長へ「大崎市議会として原発からの撤退を」の意見書として提出したことは良かったと思います。
原子力事業に関しては、女川原発を抱えている宮城県も県民や子供たちの為にも真剣に考えなければいけない重要案件ですから、そのような意味では、宮城県大崎市議会が原発からの撤退を可決して意見書として提出したことは大崎市民として高く評価したいと思います。
私たちは、3・11の大震災を体験する前と体験後では、原子力事業に関する考えは大きく変わりました。
今や「原子力の安全神話」は地に落ちたのです。
いまだに収束出来ないでいる福島第一原発事故を体験しても、相変わらず原子力を推進しようと考える市議会議員が多い大崎市議会の現実を私たち市民は真剣にしっかりと受け止めなければならないと思います。
まことに私的な意見ですが…日頃、まともな考えをしていると思える議員は「原発からの撤退を!」という意見を持っているように感じました。
これからも、揉めた議案や、拮抗した可決などの時には、是非、議員名を公開してほしいと思います。
市民の代弁者として相応しいか、そうでないかを判断する為の大切な判断材料になると思いますので、これからも明らかにしてほしい事だと思っています。
それから、チラシの裏面には市民病院建設についてのことが書かれていました。
この際、大崎市にくれぐれも要望したいことですが…これまでも地盤のことが大きく問題視されていた市民病院建設地・穂波の郷について、2011年3月11日 東日本大震災を体験した大崎市民としては、今回は大崎市議会の要請に応え、工事の為の実施設計とは別に大崎市民病院建設地として、穂波の郷で本当にいいのかどうかという安全性の検証を市民が納得するようにしっかりと行うべきだと思います。
現在大崎市古川千手寺地区にある大崎市民病院は、大震災に見舞われた中でも、きちんと医療行為を行い滞りなく仕事が出来ました。
後から「まるで、野戦病院のようだった!」とも聞きましたが…そんな中でも仕事をしたことは立派であり、市民の一人としてはとても喜ばしいことであると思っていました。
大崎市民病院は、耐震工事をしていて本当に良かったと思いました。
「災害に強いまちづくり」という事を考える時に、一番先に頭に浮かぶのが市民の命を預かる自治体病院のことですので…建設に関しては安全性の検証だけは是非お願いしたいと思います。
今日のガンディーの言葉「人間は、彼自身の精神の人間性によって、本当のことを知らされている。」
2011年7月30日
宮城産牛も出荷停止に!
今朝の地元紙大崎タイムス社の第一面は「宮城産牛を出荷停止 福島に続き2県目」県、農家支援策検討へという記事でした。
いよいよ不安・心配が現実のものとなってしまったという感じがしています。
宮城県産の稲わらが大きく問題視された時から…このような事態になるのではと、心配していた人たちが多くいらっしゃいました。
宮城県内の畜産農家、牛肉の卸業者、小売店の方々が「安全で安心して食べられない物を消費者の方々に勧めることは出来ないので、是非、全頭検査を希望する。」とTVの取材に答えていました。
焼肉屋の経営者は、大丈夫とお墨付きの牛肉だけをお店には出して、安全な仙台牛が手に入らなくなれば…「その時は、焼き肉は止めてラーメンだけにするかなと考えています。」と話していましたが…確かに深刻な問題だと思います。
「安全が確認されるまでは、消費者には売れない。」という県内の畜産農家、卸業者、小売店の皆さん方の悲しく強い覚悟を聞いて安心ですが…支援策もしっかりとしてほしいと願っています。
食の宝庫であり、第一次産業が主要産業として発展をしてきた東北地方にとって…福島第一原発事故による放射能汚染問題は極めて深刻です。
でも、食物に関しては、これは消費者からの考えですが…牛肉が駄目なら、豚肉とか、鳥肉とか、それとも他の食品から良質のタンパク質を摂取することを考えるようにして、私たちも冷静に食品の安全宣言を待って対処すべきで…一人一人の多少の我慢は仕方ないと思います。
今こそ、私たち一人一人が「足るを知る生活」を心がける時だと思います。
しかし、どんなにあがいても今更汚染された事実を無かったことには出来ませんので…ここは、何とか新陳代謝のいい身体づくりを心掛けて乗り切るしかないと思います。
放射能に詳しいお医者様が「良く汗をかくようにして、規則正しい生活を送り、どんどんセシュームを体内から外へ出してしまうように新陳代謝のいい身体をつくることが一番いいことです。」とおっしゃっていました。
お医者様が話しているように、汗や尿となって身体から悪い物質がどんどん出て行くようになればいいと、私も本気で思っています。
新陳代謝のいい身体づくりは、そのまま健康体づくりにも繋がることですので…規則正しい生活習慣を大切にした生き方を心がけるのが最良な事のようです。
今日も新潟県や福島、関東甲信地方の大雨の様子が映し出されています。
次から次と自然災害に見舞われ…これでもか、これでもかと痛めつけられる日本列島の姿を見ると本当に心が痛くなってしまいます。
「もう、いい加減にして!」と叫びたい気持ちでいっぱいですが…それでも、受け入れるしかない心痛む現実を目の前にして、大自然の驚異には目を瞠っているしかない人間の無力さを痛感させられています。
しかし、多くの自然災害に遭遇しながらも日本人はこれまで生きてきたという歴史を持っていることをしっかりと受け止め…今回も、千年に一度の国難を跳ね飛ばして生きてゆかなければいけないと思います。
私たちは、これからも心痛む報道や不安になるニュースにも負けないで、心強く逞しく生きてゆかねばならないと思える7月最後の土曜日となりました。
今日のガンディーの言葉「自制は、本当の喜びである。」「忍耐を失う時、非暴力を失うと同様、真理を失う。」「手に入る物は、何でも他の人の口から奪っている物です。だから、手に入れるどんな物でもどれも必要量で、自分の欲しいものは出来るだけ少なくするよう見極めましょう。」
2011年7月29日
気づかなかった身近にある危険!
自在窯&ギャラリーのすぐ前の歩道です。
ここ数日、ギャラリーの構内で解体作業をしている為、大きな作業用の車が何台も構内に入っていますので邪魔にならないようにと、主人は自分の車をギャラリーの前へ移動していました。
そんな時、前を通りかかったご近所の方から「小野寺さん、ここ危ないわね!」と声をかけられ、見てみましたら…Blog写真のように深くくぼんでいる所がありました。
きっと、東日本大震災でのくぼみだと思いましたが…私たちは車で出掛ける時には裏の駐車場から直接出掛けてしまいますし、ここのところを歩くことは殆どないので全く気付かずにいました。
すぐ目の前のことなのに…恥ずかしいことにご近所の方から声をかけられるまで気づきませんでした。
主人の車を前に出したことで、くぼんだ所が見えやすくなったのだと思いました。
早速、大崎市松山総合支所産業課へ℡を入れました。
産業課の職員は、すぐに来てくれました。
職員M氏は「歩道は見て歩いたつもりですが、気付きませんでした。深くて危険ですので早速業者に手配をして砂利を入れてもらいます。危険を知らせる赤いポールを置いて行きますから。」と言い、業者さんに℡を入れてくれましたが…そこでは連絡が取れない様子でした。
「戻ったら、業者に話しておきますから。」と言って写真を撮ってから帰りました。
危険を知らせる赤いポールが置かれただけでも…私は少し安心しました。
いろいろな人から「今は、怖くて歩道が歩けない。転びそうになった。」という話しを聞きますし、転んで怪我をした人の話なども聞きます。
砂利を敷いた道路は、砂埃が多く、入れた砂利はどんどん減っていますが…歩道の砂利は減っていないようですから、凹んでいる所に早く砂利を入れてほしいと思います。
こんなにも身近に危険があることを知らずに生活をしてきたことが悔やまれましたが、ギャラリーの前を通る人の様子は出来るだけ気を付けてみるように心がけたいと思っています。
大崎市松山文化丁の歩道は何処も凸凹で大変歩きにくいです。
先日の消毒当番の朝も、いつもは通らない歩道などを歩きましたが、大変歩きにくく、砂利道は想像以上に歩きにくかったです。
復旧という元に戻ることだけでも時間がかかり大変なことだなと思いながらの消毒でした。
沿岸部の津波被害の甚大さは言うまでもありませんが、大崎市は巨大地震による被害が一番多い自治体であるということは本当のことだと思いました。
多くの生活道路や、歩道、志田橋の被害は大きく…日常生活にも支障が出ているという事は容易に想像できることです。
我が家の解体作業は、大きな作業所を残すばかりとなりましたが、1/3の解体が終わりました。
それにしても、今回のことで感じたことは、物事を見る時は少し角度を変えてみるとか、自分の目の先を凝視してみると意外な落とし穴に気づくこともあるかも知れないと思いました。
「大丈夫!」という思い込みが一番危険だと思います。
自分の身の回りには意外な危険がいっぱいあることも真実だと思う一日となりました。
今日のガンディーの言葉「人生は安楽なことではない。棘がいっぱいある。」
2011年7月28日
甲子園出場おめでとう!!
2011年7月27日
初優勝の古川工業の健闘を讃えて!
昨日は、午後からギャラリーにはいろいろな人達が集まり、全国高校野球宮城大会決勝戦の様子を見守りました。
松山中学校の卒業生の中にも古川工業硬式野球部に入部をした野球好きの子供たちがいましたので…TVを観戦しながらみんなで声援をおくりました。
素晴らしい試合展開でとても感動しました。
松山地域からも数人の方々がクリネックススタジアム宮城に応援に行ったそうです。
この地域からは、これまで甲子園出場を果たしたことがありませんでしたので「宮城における甲子園空白地帯」などとも呼ばれていたようですが…東日本大震災後の初優勝は、とても感慨深く嬉しい出来事となりました。
宮城県からは、私立強豪高校(東北・育英)が甲子園へ行くことが多かったのですが今回は大崎市古川地区から古川工業高校が甲子園の出場権利を得て出場します。
公立高校の出場は9年ぶりになるそうです。
この夏の宮城の決勝大会が公立高校同士(利府対古川工業)という事も良かったことでした。
古川工業高校のプレーには力を合せてゲームをつくって行くという気迫がありました。
古川工業高校のエース山田君は大変落ち着きのある投手で高校生とは思えないような風格があり、頼もしく思えましたし、他の部員も頑張っている山田君を何とか助けようとチーム一丸となって、利府高校に立ち向かっていたと思います。
感激の初優勝でした。
感激の試合を観た後には「甲子園行きの嬉しい資金集めが大変だね!」とみんなが心配し始めました。
今回の嬉しいニュースは、東日本大震災からの、宮城の復旧・復興のシンボルにもなることなので、若い子供たちが全力で闘ったことを評価しての協力は私たちもしたいと思っています。
甲子園大会は8月上旬ですから、甲子園行きの応援団は、古川工業高校の同窓会や大崎市を中心にしての結束が必要だと思われますが…心弾む結束になりそうですね!
今日のガンディーの言葉「運命と人間の努力との間には、長く続けられる葛藤がある。努力を続けよう。そして、その結果は神に委ねよう。」
2011年7月26日
松小サマースクールのボランティア(○つけ作業)を通して…
今日は午前9時からギャラリーのお隣・大崎市立松山小学校のサマースクールが始まりました。
松山地区学校支援地域本部からは「松山学校すけっと隊」が出向いてプリント学習のまるつけのお手伝いをしました。
松山小学校の生徒たちは3年生から6年生まで96名が自主的に参加しました。
初めに吉沢校長先生の挨拶がありました。
まるつけのボランティアは、松山高校生、大学生、私、元松小の校長先生だった斉藤氏、松山小学校の先生1名と5名で行いました。
後は、松山公民館から間宮さん、松山地区学校支援地域本部コーディネーター氏家さんというメンバーで…途中10分間の休憩を入れて、10時半まで子供たちと共に楽しく頑張りました。
私は、先生が用意したという №29までのプリント学習の教材づくりに大変感心しました。
A4 1枚にまとめたプリント学習は、見易く、トライし易く、一枚終えて○をもらうには丁度いい学習で、子供たちは全部○をもらうと「やったー!」と声を出したり、大変満足そうな顔をして喜びの笑顔を見せたり、目は喜びを表しても冷静なしぐさだったりと…一人一人満点をもらうまで何度も並ぶ子供の姿も見られました。
開放感のある学習室の机の間を多くの先生方が回って歩いて個別指導をしていらっしゃいました。
ちょっとしたアドバイスで喜ぶ子供たちを見て先生方も大変嬉しそうでした。
今日は、自主学習の良さをたくさん見ることが出ました。
私と元校長先生は高学年の担当で、初めは低学年の方が〇つけに多く並びましたが、その後は高学年の方も増えて満点を取るまで何度も並ぶ子供の姿も見られましたが、同じところが間違っている子供たち(小数点の問題)が数人いました。
今回のプリント学習の教科は算数でしたが、時間の問題では、現代のデジタル化よりも少し前のアナログ時代の方が時計の事は理解し易いのではないかと思いました。
アナログには具体的に物事を考えるユックリズムの感があると思います。
ちょっとした間違いを見つけると、ついつい教えたくなってしまい、並ぶ子が少ない時には、何回か考え方を教えたりしましたが、理解したような表情を見つけるとこちらの方が嬉しくなってしました。
その後に正しい答えにして再度並んで、満点になると私の方が大満足で「○○さん、100点満点おめでとう!」と名前を呼んで褒めて上げました。
いよいよ時間が来て、先生の指示に耳を傾ける子供たちに私語は一切無くとても集中して先生の話を聴いていましたが…私が担当していた男の子が同じところを3回間違っていて、まだプリントを持って来ていなかったので、気になっていました。
皆が片付けをして帰り支度をしている時にも、その男の子は、プリントとにらめっこをしていました。
「どうぞ、校長室に。」と声をかけられましたが、その子を見守っていましたら、にっこりして立ち上がって私の所にプリントを持ってきました。
男の子は、4回目で正解答でした。
「最後まで頑張って偉かったわね。はい100点満点 おめでとう!」と言いましたら、ニコニコして「ありがとうございました」と言ってくれました。
校長室で冷たい麦茶を戴いてから、少し反省会らしきものをしてから帰宅しましたが…すごく楽しかったです。
今回の松小のサマースクールには、寺子屋学習のような雰囲気があり、自主学習の素晴らしさを感じました。
明日もサマースクールは実施されるそうですが、8月にも開催を予定しているそうです。
今、私は「奇跡の教室」を読んでいますが...プリント学習の良さを目の当たりに出来た 〇つけのボランティアでした。
大満足で自在窯&ギャラリーに戻りましたら、解体工事はどんどん進み、空き地が増え...広々なギャラリー構内になってきていました。
昼前には大崎市松山総合支所産業課へ行き、罹災証明書を持参して東日本大震災による解体処理に関する減免申請書をもらって来ました。
我が家は、結構順調に事は進んでいますが...非常時の申請は出来るだけ簡便化し、一つの窓口で全ての手続きが出来るようなきめ細かな行政サービスが必要だとつくづく感じます。
それから、小学校に行って感じたことは、小学校教育にはもっともっとお金をかける必要性があると思いました。
日本の教育は、幼児教育と初等教育に力を入れるべきであり、学習の基礎や学ぶ楽しさは幼い時にこそ身に着けさせ、後は一人一人の個性を伸ばすようにしてやることが大切だと思います。
学ぶ楽しさや、解る楽しさを覚えると子供たちは本当に見事なまでに変化します。
このことを教えるには幼い時の方が効果的です。
中3生でも、躓いたところからやり直さないと中3生で習う数学を身に着けることは出来ません。
しかし、苦手な強化を克服すると他の教科までぐーんと伸びることがあります。
可能性の目を摘むことなく、自分の学力を最大限に活かす道を見つけられたら幸せだと思います。
解放感たっぷりの新しい校舎・松小で学ぶ今日の子どもたちの表情は活き活きしていて、地域社会の健全さが感じられました。
大崎市松山地域が、地域全体で地域の子供たちの成長を温かく見守り続けることのできる地域社会であるように願わずにはいられないような暑い一日となりました。
夏の高校野球の決勝大会では、古川工業高等学校が初優勝しました。
3:1で利府高校を破りました。
公立高校同士の戦いとなりました。
素晴らしい試合で感激しました。
孫のSに℡をして「おめでとう!」を言いました。
孫も母校の初優勝をとても喜んでいました。
今日のガンディーの言葉「人生は、死ぬまで毎日新しくなる。この知識は、我々、精神向上するよう手を差し伸べるべきである。」
2011年7月25日
二日続けての解体作業….
大型重機が作業所の屋根を掴んでは壊し、掴んでは壊し…破壊作業は進んでゆきます。
屋根を掴む時の重機の先は、長く大きく伸びた爪のような形に見えます。
構内の電線に触れるのではないかと心配しながら…主人と二人で見ています。
一番大きな作業所が取り壊されたなら、広いスペースが生まれるものと思われますが…工事の音もうるさい為か、ご近所の方々からも「取り壊しをしているのですね!」と声をかけられています。
解体作業の手順はすごく良く、順調に進んでいます。
昨日は木造の部分を剥がし、今日はトタン屋根や鉄骨部分を解体しています。
「Mさんの仕事は、要領がいい!」と主人は褒めています。
社長と、若い人が6人という作業メンバーですが、皆さん礼儀正しく、明るく…一生懸命に働いています。
彼らの働きぶりを見ていると気持ちが爽やかになってきます。
ずっと前に聞いたことですが「悩みがある時などには、身体がくたくたになるまで働いてぐっすり眠れるような環境に自分を置くことが一番!暗闇から抜け出る最高の生き方!」という話しを思い出してしまいました。
溌剌とした働きぶりに…少々感動しながらギャラリーの裏口から何度も仕事ぶりを見に行っている私たちです。
最近のギャラリーでの話題は、第1期分を8月1日まで納入するようにと送付されてきた大崎市の税金の話です。
「我々には義務を果たせと言うが、市はどうなのだろう。税金に値する仕事をしているのだろうか?」「申請主義の限界を感じる。」「総合支所へ行っても混んでいる所はいつも同じ。」「申請をしに総合支所へ出掛けると半日かかる。」とか…地域民の愚痴が聞こえてくる季節になって来ました。
東日本大震災では、殆どの方々が、家の修理や改築などを行う羽目になっています。
ですから、日頃からの蓄えが大切と痛感している私たちですが…お金は出て行くばかりで、なかなか貯まらないものですね。
大きな利子でもつけば貯める楽しみも出てくるのですが…
昨日の正午からアナログTVは見られなくなり、いよいよ本格的な地上デジタル化の時代に突入しましたが…10万人に近い地デジ難民が出ているとの報道がありました。
地震や津波などの被害に備えての緊急放送のことなどを考えますと、地デジ難民が多いことがとても気になっています。
以前の調査では、それほどの地デジ難民は出ないはずという報告だったと記憶していますが…砂嵐状態になったTV画面を見て℡が殺到したという報道もありました。
果たして総務省の対応は万全だったのでしょうか?
ここでも「弱者切り捨ての論理」だけは止めてほしいと思っている私なのですが…
大きく信頼が揺らぐ出来事が多過ぎる日々を過ごしている私たちの心は、度重なる余震の揺れを不安がる気持ちと重なり合って拠り所の無い不安定感に晒されているような思いです。
今日のガンディーの言葉「良き思考を考えることは一つの事であり、良き思考に従って実行することは外の事である。」
2011年7月24日
地域の消毒当番と、作業所解体工事の日曜日…
今朝は、午前8時から大崎市松山地域文化丁区の消毒がありました。
私は消毒当番でしたので集合場所の松山文化丁公民館へ出掛けました。
丁度、その時に以前から頼んでいた解体屋さんがいらして「今日から解体作業を行います。」と7人ぐらいの作業員の方々が大型機械を持ち、簡易トイレなども設置しながら、ギャラリーの構内に入って来ました。
26日頃と言っていたのですが「大型機械の都合は今日がいいので!」という事でした。
若いお兄さんたちが一生懸命に動き始めたことを確認して、私は消毒へ向かいました。
昨日までの涼しさが恨めしく思えるような暑い朝になりましたが…佐々木区長さんの指示に従って、文化丁区の消毒を始めました。
「側溝を中心にお願いします。」ということでした。
10倍に薄めた消毒液を各自が持って、小分けをして消毒を行いました。
途中で一度休憩があり、冷たいお茶を1本ずつ頂きましたが…とても美味しかったです。
1時間以上かかって町内を全て回り終わり…松山文化丁区公民館に戻ってから散会となりましたが、私が暮らす松山地域では、日常に戻ろうとする力がとても強まっていることを感じました。
自在窯&ギャラリーに戻ると主人はギャラリーの裏口に立って解体作業を見守っていました。
自分が2級建築士の資格を取り、自分で建てた作業所が壊されるのを複雑な心境で見上げていました。
「涙が出る?」と聞いたら「うん、涙が出るね!」と答えました。
主人は、何度も何度も裏口に行き、作業を見ていました。
作業所はお隣の三浦内科医院の真向かいですし、作業所の裏道は大崎市立松山小学校の通学路に指定されています。
東日本大震災後には、側面が剥がれ落ちたり、スレートが外れかかったり、柱が曲がったり…住宅ではありませんが、強風や、強い余震などがあると心配な建物になってしまいましたので…主人はやっと解体を決意したのです。
他にも柱が傾いた中古トラクターの展示場所や小部屋なども解体しています。
ですから、我が家の敷地は、小さな自宅と東塾松山進学教室と自在窯&ギャラリーと小さな工房だけになります。
主人は、時々私にも作業工程を見るように誘いに来ます。
大震災後には、松山地域の商店街も歯が抜けたようになり、所々で解体作業の様子などが見られましたが、自分の所でもこのような作業が始まると、あの巨大地震の恐怖が甦り…本当に怖くなってしまいます。
自宅であれ、作業所であれ、事務所であれ、店舗であれ…危険度は同じだと思います。
私は、揺れを心配して過ごす思いをすれば、解体してしまった方がすっきりすると思っていたのですが…目の前で行われる取り壊し作業を見守る心境はやはり寂しいかぎりでした。
今日のガンディーの言葉「人生は安楽な事ではない。棘がいっぱいある。」
2011年7月23日
理不尽な行為に対する怒り!
今朝のBS朝日「激論 クロスファィア」に自民党の石破 茂政調会長が出演していらっしゃいました。
その中の話の後半で「これまで原子力事業を推進してきたのは自民党。40年の使い続けて来たことが原因で原発事故に繋がったのも自民党。原発の安全性への配慮が不足していたのも自民党。」であるという事をきちんと認める話をしました。
しかし、これだけの事柄をきちんと認めていながらも、自民党は原子力について現状維持原発稼働を宣言しています。
これは脱原発を宣言した民主党の菅首相に対して、対立軸を明確にしたものなのでしょうが…あれだけの事故を起こし、福島県民を苦しめても現状維持で再稼働を推し進めようとする人の気持ちが私は全く理解出来ず、怒りを感じる言葉でした。
国策で勧めた原子力事業については、導入時からの検証が必要ですし、コスト面、安全性など詳しく分析して、原子爆弾を落とされた国が、核の平和利用と言えどもなすべき事業だったのかをしっかりと調べる必要性があると思います。
民主党政権が、これだけ批判されていても、だからと言って自民党が国民から多く支持されているわけでは決してありません。
いろいろな人々が、いろいろな所で「日本の政治は、三流以下だ!本当にがっかりだ!!日本には政治家なんていらないのではないかとさえ思ってしまう。」などと言っています。
東日本大震災での巨大地震被害、大津波被害、そして福島第一原発事故と千年に一度の大災害に見舞われ苦しんでいる人々がこんなにもいる中で、非常時に於ける政治の力には、多くの国民が心の奥底から本当は「助けてほしい!」と願っているのに…何事も期待出来ないのではないかとさえ思ってしまう政治への落胆ぶりには本当に心が痛み、落ち込んでしまいます。
政治そのものが信頼を失うことは、私たち国民にとっては大変不幸なことだと思います。
午後1時半頃、強い地震がありました。
最大震度は5強でした。
大崎市は震度4でしたが、結構強い揺れで私は机の下に避難しましたが…心臓がドキドキして、3.11の揺れを思い出してしまいました。
まだまだ安心出来ない状況が続いている中で生活する被災地の国民のことを考えた政治を一日も早く行ってほしいという気持ちは募るばかりなのですが…
今日のガンディーの言葉「人間は自己の本性を実感し、本性を静見し、その徳目に従うようになって立ち上がる。反対の行動パターンは、自己の下降に引きずられる。」
2011年7月22日
スロウ・リーデングの物語のさわりを読んで…
21世紀に成功する為の勉強法として多くの日本のリーダーを育てた、伝説の国語教師・橋本 武先生(98歳)「スロウ・リーデング」の物語を読み始めました。
まだ、読み始めたばかりですが…押しつけじゃなくて心に残る授業をしたいという橋本先生の熱い思いと創意工夫の授業を通して本当の国語の力をつける為の授業「銀の匙」を教材として使うことへの教師としての覚悟が語られるところから「奇跡の教室」は始まっています。
文庫本一冊を中学生活3年間かけて徹底的に味わい尽くすことを目的にしています。
まず"主人公になりきって読んでゆく"ことが必要と橋本先生は考えていらっしゃいました。
生徒の興味で脱線してゆく授業、「解らない事は全くない」領域まで徹底的に味わい尽くす。
崇高な「遅読」「味読」こそ~~「スロウ・リーデング」~~と、橋本先生はおっしゃっています。
橋本先生は「気づくセンスこそが国語力なんだよ。何歳になっても、受け取る感性があれば人生は楽しいんだよ!」ともおっしゃっています。
そして、12歳から18歳の思春期・人格をつくる時期に、人として生きる上で忘れてはいけない物の見方や感受性を「銀の匙」を通して伝えたかったとありました。
橋本先生は50年間教壇に立ち続けたそうです。
多くの教え子たちは、戦後の成長時代・スピード社会と逆行するように、ゆっくり、ゆっくりと、しかし着実に「学ぶ力」と「生きる力」をつけていったようです。
文中に「生活周辺のことが、国語の力になる」とありました。
この文章を見て、私は、今回の東日本大震災を経験した多くの子供たちにも、橋本先生の教え子たちのように、被災者として一人一人の物語を忘れることなく、深く考えて自分の国語力を高めるいいきっかけにしてほしいと思いました。
母国語である「国語」は、日本人として正しく生きようとする時にはとても役立つ学問だと思います。
「国語」は全ての学習の基礎ですから、音読をしたり、何度も繰り返し読んだりすることが大切なことは良く解りますが、一人一人の子供が体験する子供の世界が如何に大切かということが良く伝わってくる楽しい本を手にして…いい先生に出逢った子供たちの幸せを思いながら、人との出逢い、いい教材との出逢いなども含めて…いい人生は「良き出逢いから!」と思いました。
今日のガンディーの言葉「人間は、彼の精神の人間性によって、本当のことを知らされている。」「母国語をけなす事は、自分の母をけなす事になる。」
2011年7月21日
放射能問題の奥深さ...止まらない汚染牛の報道!
地元紙大崎タイムス社が今朝の第一面で「被曝懸念の牛200頭出荷」と報道しました。
稲わらは、原発事故発生前から、又その後も田んぼに横倒しになっていたようですし、事故後に地面から生えた牧草と比べると被曝面積が大きかったそうです。
福島第一原発で放射能事故が起きた直後に「露地野菜」などに対しても被曝の危険性があるという情報が出ていましたので…野ざらしにしていれば稲わらも麦わらも被曝の危険性は当然出てくるものと思われます。
以前に、ある方から「牛も家族、飢えさせるわけにはいかない!」という言葉を聞いたことがありました。
その時、私は「自分の子どもや孫にでも、同じことが言えるの?」と聞き返したのですが…すごく嫌な顔をされて、この話は中断してしまいました。
このあたりから、ある種の危険性は想定内だったのではないかと私は思っています。
豚は稲わらを食べない?~~ので大丈夫と聞きましたが…3.11以来心配な出来事ばかりが次々と起こり、本当にうんざりしています。
汚染わらを食べたとみられる牛の数も日増しに増えて…心配は募るばかりです。
全農宮城本部では、19日に組合長会議を開いて出荷を見合わせることを決めたそうですが、いつ何を食べさせたかの履歴調べも大事かも知れませんが、正しく放射能性物質を測定する機器を揃えて一日も早く全頭検査をすることが先だと思います。
現実問題を直視することが大事で、そこから解決策を諮るべきだと思います。
もうこれ以上、放射能汚染牛の頭数が増えるニュースには耳を塞ぎたい気持ちです。
今のところ「食」しても直ちに健康被害を心配する線量ではないという発表がなされていますが、この発表そのものが信じられないと言い、直ちに無いという事は、いずれは起きるかも知れないという事を十分に含んでいる言葉で…本当に信じられない言葉だと言っている人たちがたくさんいるのです。
「原発のウソ」の著書の中で「安全な被曝量など存在しない!」と小出裕章先生は、はっきりと語っていらっしゃいます。
人が生きる上で、信頼すべき人や物事や事象を信頼できないという事は本当に悲しいことですし、風評被害にも拍車をかけてしまうことになりそうで…気持ちは沈むばかりです。
今回の福島第一原発事故で「安心で安全だ!クリーンで安価なエネルギーだ!!」という原発神話の大前提はすっかり崩れ去りました。
政府発表の行程表ステップ1についても「楽観的過ぎる!」と心配している方々もたくさんいらっしゃいます。
原子力から得る電気には私自身たくさんの恩恵も受けましたが…2011.3.11福島第一原発事故が発生してから、私の考えはまるっきり変わりました。
原発は人間とは決して共存できないものだという結論に至りました。
原発のリスクの大きさには背筋が凍る思いです。
日本の子供たちの未来を守る為に、今こそ、原発の危険性を真剣に訴え、原発の恐怖を警告している方の言葉に、私たち日本人はしっかりと耳を傾けなければいけないと思います。
今日のガンディーの言葉「間違っていた知識に目をひからかそう。この知識は、真理を止め、真理を離脱させる悪い知識である。」
2011年7月20日
一時の涼しさは、台風6号の影響…
大型で強くノロノロ台風6号の影響をTVで見て…猛烈な雨の降り方に恐怖を感じています。
この台風6号接近の影響でしょうか…宮城県大崎市の上空一帯はどんよりとした厚い雲に覆われているようです。
これまでの暑さが信じられないくらいに涼しい風が吹いています。
東北地方には海上がしける見込みがある為、太平洋側や日本海側南部では雨のところが多くなり…大雨の恐れもあるという予報を出しています。
海岸沿いの高波や、土砂災害や浸水などにも警戒するように呼びかけています。
TVの映像から流れる台風の被害は甚大で、空の便も新幹線も高速道路も、欠航や一部区間での運転見合わせなど…いろいろな所に大きな被害を与えています。
今後も激しい雨の恐れがあるとして、以前厳重警戒注意報が続きそうです。
行方不明者や怪我人も出ているようですし、避難勧告が出されているところもあり…次々に避難する人々の姿も映し出されています。
これほどの大きな台風が真夏に来るとは…秋の台風シーズンならいざ知らず、今回の台風6号は後から発生した台風7号も巻き込んで更に大きくなったそうです。
TVでは、午後2時頃の様子で、台風が過ぎ去ったと言われている和歌山県白浜町の様子を映しましたが、海岸に打ち寄せる白波のすごさには身がすくむ思いでした。
被災地にも土砂災害の恐れがあるという注意報が出されましたが、大震災の後だけに被災地にやって来る台風がもたらす雨には厳重注意が必要なようです。
もうさんざん痛めつけられた被災地が、又、自然災害を警戒しなければいけないということには恨めしささえ感じてしまいます。
「もう、いい加減やめてほしい!もう、これ以上痛めつけないで下さい!!」と、お願いしたい気持ちでいっぱいです。
それから「出来れば東北地方を避けて、遠い海上へ抜けて行って頂けませんか?」とも、言いたいのですが…
このような台風6号の話題の中でも "なでしこJAPAN" 大活躍の話だけは心弾む話です。
「大和撫子」~~小さくても強く、でも決して出しゃばらないという理想の日本女性の姿は、今最も多くの人々から熱く注目されているようです。
優勝の時に「TVを見ながら応援していて涙が出た!」と、いう人がたくさんいらっしゃることを知って…お互いに何度も喜びを噛みしめ合えることが毎日の嬉しい話です。
今日のガンディーの言葉「嵐がどんなに強くても、どんなに暗闇が暗くても、何処で神が我々の保護者であり、友人であるのですか。何故、そして、誰を恐れるのでしょうか。」
2011年7月19日
名前に込められた親の祈り!
"なでしこJAPAN"の主将 澤 穂希(さわ ほまれ)選手のお母様が穂希さんの名づけをした時の話をしていたことを以前に聞いた事があるのですが、穂希さん誕生の年は、不作だったそうです。
「穂希」という名は、これからは美味しいお米がたくさん採れますようにとの願いを込め、豊作を願ってお父様がつけた名前であることを知りました。
私は、優勝の瞬間、この穂希さんの名前の話を思い出しました。
大昔から農耕民族として生きてきた歴史を持つ瑞穂の国である日本にとって、コメは日本文化そのもののですから…日本人としてのとても誇りを感じる名前なのだと思い、感動して話を聞いたことを思い出しました。
2011年7月19日(火)台風6号の接近を間近かにして…自在窯&ギャラリー付近、午後4時頃の田んぼの様子です。
春に植えた苗は夏の太陽を浴びてすくすく育っています。
夏風に揺れる稲穂はユラユラ、気持ちよさそうでした。
穂希さんの名づけに関する話を聞いて思ったのは…親が、自分の子どもの名づけには特別の思いを持ってつけるという話しの真意が伝わることでした。
それからは、漠然とした気持ちで他人の名前を聞くのではなく、この人の名前に込められた親の気持ちはどのようなものだったのかなどと想像して人の名前を心に止めるようになった事なども思い出しました。
尊敬しているおじいちゃんに名前を付けてもらったとか、その年に活躍したスポーツ選手の名前を付けたとか、親からの一字を付けたとか…いろいろ聞きますが、澤 穂希選手の名づけには、日本の精神が宿っていたのだと思いました。
実に苦しい戦いだったと思います。
観ている人の中には、もう駄目かと思った人は居たと思いますが…闘っているなでしこJAPANの選手たちは誰一人として諦めていなかったのだと思います。
自分たちのチームとしての強い信頼関係に裏打ちされたゲームであった事が伝わってくる優勝インタビューを聞いて…なでしこJAPANには、サッカーの女神さまがにこやかに微笑んで下さったのだと思いました。
素晴らしい日本女性の団結の力を見せてもらって、本当に嬉しく思いました。
なでしこJAPANの大活躍は、日本の子供たちにも大きな夢を与えることが出来たと思います。
日本女子サッカー・なでしこJAPANは、諦めないで夢を叶えることの素晴らしさをサッカーというスポーツ実践を通して世界中の人々に教えてくれました。
穂希選手のお母様は、すごくチャーミングで素敵な女性です。
いつも、穂希選手の心の成長を見守っていました。
日本文化の精神性を秘めた希望を抱かせる名前を持つ穂希さんのお洒落な生き方には親の影響があったことが窺えます。
これからの日本には、穂希さんのように強くてお洒落で素敵な女性の力が必要だと思います。
日本にも、本当の意味で女性の時代が来てほしいと思っている私です。
今日のガンディーの言葉「一滴の水が大洋をつくっている。その理由は、一滴の水の中には完全な統合力があり、そして、協調性があるからです。 同じことは人間社会にも採用できるのではないだろうか。」「局面が本当に難しい時、信仰がテストされる。」
2011年7月18日
おめでとう” なでしこJAPAN”世界一!!
日本女子サッカーが始まってから30年ぶりにやっと念願の世界一に輝いたなでしこJAPANのメンバーの笑顔は最高でした。
強豪アメリカとの2:2の延長戦。そして、PK戦3-1で見事勝利を手にして"なでしこJAPAN"は世界一になりました。
今朝は、主人に何度か声をかけられ…4時少し前にやっと起きました。
アメリカに先制され、ハラハラドキドキの試合で、途中何度かもう駄目かとも思いましたが、なでしこJAPANは取られたら取り返すと…決して諦めず最後まで本当に良く頑張りました。
大きなアメリカ女性と小柄ななでしこさん達は体格の差はあっても、体力的にも精神的にも少しも引けを取ってはいませんでした。
全力で走り回り、ひたすらボールを追う姿は大変美しく輝いていました。
澤 選手の最後の同点ゴールは、何度見てもどのようにして蹴ったのかさえ解らないような見事さでした。
進行方向に身体を向けたスタイルではない状態で、身体をクロスしたような感じで素晴らしいボールを蹴って同点にし…PK戦に突入しました。
いつも思うのですが、サッカーの試合が延長になりPK戦で決着をつけるのは、どちらが勝っても負けても何となく残念な気がしていたのですが…今日は違った感情が湧き出て来て、ここまで頑張ってきた日本はきっと勝つだろうという気持ちが強くなり、初めに蹴ったアメリカ選手のボールを日本のゴールキーパーが右足で飛ばしてやった瞬間に、きっと勝つだろうという思いはますます強くなり…とうとう女子W杯優勝!の時がやって来ました。
東日本大震災後の日本を覆っている空気は重く、そして、まだまだ暗く、最近ではセシウム汚染の疑いのある牛が市場に流通していることが判明して、原発事故の放射能汚染の大きさには計り知れないものがあり、畜産農家の苦悩も増すばかりで…日本の第一次産業の壊滅的な被害を思うと本当に気持ちは沈む一方でした。
しかし、今朝、私はやっと自国が信頼できる確かな出来事を目にしました。
日の丸をつけて一生懸命に戦うなでしこJAPANの選手たちの頑張りに…涙がこぼれました。
胸いっぱいで朝食が食べられないくらいに感激しました。
チームワークを誇る可愛らしい日本の女性たちの頑張りに心から"おめでとう"を言いたいと思います。
決して最後まで諦めない大和なでしこ達の真の心の強さを見せて下さって本当にありがとうございました。
すごく嬉しかったです!
素晴らしい試合でした。
どうぞ、お気を付けて元気に帰国して、又、いい笑顔を見せて下さいね。
今日のガンディーの言葉「我々は、最大の努力という事に、どう名づけたらいいのでしょうか。割り当てられた事ではなく、自分のエネルギーを全て費やすような努力です。成功する事は、一般にそのような清純な努力に通じることです。」
2011年7月17日
暑さのピークは今日までと…
お花畑のようなきれいな絨毯は、加美町のやくらいガーデンの2f・素敵な結婚披露宴会場に敷き詰められていた絨毯です。
外の暑さを忘れてしまうくらい静かな空間で、ゆったりの時間を過ごして久しぶりに充実感がありました。
あの日から5日が経過しても暑さは増すばかりで、連日真夏日が続いていますが…大型台風が近づいているようでTVでは「暑さのピークは今日まで!」と天気予報士は告げています。
でも「本当かしら?」と、思ってしまうくらいに気温は上昇している感じです。
今日は朝からギャラリーにいますが、室内にいても真夏の陽射しが非常に強いことが解ります。
東京で暮らす友人が「今年の暑さには参ってしまう!夜も寝苦しくて!!」と℡をかけてきました。
節電を心がけているけれど…この前の夜中、暑くて目が覚めて起き上がろうとしたらすごい眩暈がして…大声で娘を起こして、何とか大丈夫だったけど、死ぬかと思ったわと言っていました。
意識が薄れてゆきそうになって、怖かったとも言っていました。
「救急車を!」と、娘さんは思ったそうですが…アイスノンや保冷剤で冷やしたら顔色も良くなってきて意識もはっきりしてきたので、居間のエアコンをかけたままにして朝まで過ごしたそうです。
翌朝は、8時頃に普通通りに起きることが出来て、大事には至らなかったそうですが…暑くて暑くて目覚めたから良かったけどあのままだったら「室内で睡眠中に熱中症で亡くなる!!」という記事になったかも知れないわねと話していました。
「人間なんて、考えてみれば儚いものね!」と言っていました。
彼女は、東日本大震災以降、心がくすんでしまったそうです。
あの大震災で亡くなった多くの方々の不条理な死を考えると、胸が痛くて仕方ないと言い…気持ちが沈んだままで晴れ晴れすることが無くてと、言っていました。
「巨大地震と大津波だけでも大変なのに、福島第一原発事故は最悪ね!それなのに、脱原発に舵を切った菅さんのことを散々けなして、身内からも批判が出て、菅さんだって民主党の選挙で選ばれた代表なのに、政治家にモラルハザードが起きていると思うわ。私は誰が何と言っても菅さんを支持する。原子力なんていらない!電気はほしいけれど、原子力はイヤ!孫のことを考えたら今すぐにでも原発はSTOPしてほしい。安全神話なんて大嘘!核は核なのよ。原爆を落とされた国なのに…核の平和利用なんて、偽善だわ!!」と吐き捨てるように言いました。
普段はどちらかというと穏やかな人なのに…意外でしたが、彼女の言うとおりだと思いました。
3・11を境に日本は大きく変化してしまったのだと思います。
どんなにあがいても、私たちはもう3・11前の生活には戻れなくなったことを認めて生きるしかないのだと思います。
これからの日本の再生を考えるには、この現実をスタートラインにして人の生き方、国の在り方を一人一人が真剣に考えなければいけないと思います。
若い頃、教員をしていた彼女の言葉には切羽詰まったものがあり、私も憂鬱な気分になりましたが…避けては通れないような気持ちになりました。
今日、私は、宮沢賢治の詩「私が先生になった時」を思い出しました。
私が先生になった時 自分が真理から目をそむけて 子供たちに本当のことを語れるか
私が先生になった時 自分の未来から目をそむけて 子供たちに明日のことが語れるか
私が先生になった時 自分が理想をもたないで 子供たちに胸をはれといえるか
私が先生になった時 自分がクラスの外にいて 子供たちに仲良くしろといえるか
私が先生になった時 一人手を汚さずに自分の腕を組んで 子供たちにがんばれといえるか
私が先生になった時 自分の戦いから目をそむけて 子供たちに勇気を出せといえるか
~~先生を親に置き換えたりして、それぞれに自分の立場で真摯に子供たちと向き合う場面を想像してみると人間としての生きる真実が見えてくると思います。~~
今日のガンディーの言葉「天空の下で眠っているような人を、誰が奪うことが出来ようか。」「我々は、何かを差し出そうとする時、自分自身の真なる部分を差し出さねばならない。」
2011年7月16日
暑い夏には、青汁と梅干しが効果的!
連日、夏空が広がり真夏日が続いています。
眩しい夏空を見上げると眩暈がしてしまいそうです。
今年は6月末頃から、毎朝一粒梅干しを食べるようにしていました。
以前も「疲れたなぁー」と、思う時には食べるようにしていたのですが…今年は毎朝一粒を心がけています。
この頃思うのですが、夏バテしませんし、疲労回復が早いような気がしています。
梅干しと青汁は毎朝の習慣になりました。
青汁を飲むようになってからは一度も風邪をひかなくなりました。
結婚した頃には、1年に一度はひどい風邪をひいていましたが…ここ数年、風邪をひいていません。
むしろ若い頃よりも健康になったようにさえ思います。
子どもの頃はあまり丈夫な方ではなく、1ヶ月に2回くらいは学校を休んでいましたし、好き嫌いも多くて、疲れやすかったように思います。
今は、主人と同じでドジョウ以外は何でも食べられるようになりました。
寒さよりも暑さには弱い私ですが、梅干しのおかげで連日の暑さにも負けないで暮らしています。
先日、熱中症寸前で運ばれた人の話を聞きましたが…「何か、おかしい!少しムカムカするなぁー」と感じたら、急に血の気が引いていったようになって気を失ってしまったそうです。
でも、すぐ傍に人がいて助けてもらったそうですが…誰もいなくて気づいてもらえなかったらと思うと「怖いことよね!」と、話してくれました。
「何か変!」と思った時では遅いのですね。~きっと~
「でも、地面の方に引っ張られるような時の気を失ってゆく感じは決して不快ではなく、むしろ気持ちがいいと思ったくらい。」と、彼女は言っていましたが…一瞬のことなのでしょうが、怖いことですね。
いろいろお話を伺っていましたら、意外とこのような経験をしている人は多く、寝不足気味の翌日や、呑み過ぎの午前中とか、疲れが残っていると感じている時など…特に暑さの厳しい日に、眩暈を感じてクラッとなったなどということでした。
無理は禁物ですから、出来るだけイライラせず、リラックスして生きるように心がけているつもりではいますが、これからも自己解放出来る時間を大切にしながら、身体にいいと言われるものを食して健やかに過ごしたいと思っている私です。
今日のガンディーの言葉「我々は自分自身の運命の製作者である。」
2011年7月15日
菅首相が示した「脱原発の方向性を高く評価する!」と涙して話す母親の言葉に…
或るお母さんと話す機会がありました。
そのお母さんは「孤立している菅首相にもう少し頑張ってほしいと思っています。脱原発宣言が出来るのは菅首相だけだと思っています。四面楚歌で大変だろうと思いますが、子を持つ親の気持ちに添える人は菅首相だけで…出来ればはっきりと脱原発への道筋をつけてから退くことを考えてほしい。今、私は菅首相を心から応援しています。」と涙をこぼしながら話して下さいました。
すかさず「私も同感です。」と言いました。
あれほどの原発事故を起こし福島県民を苦しめている現実がありながら「日本の産業界には原子力は不可欠である。」と、今も言っている人が私の身近にもいます。
原発は、事故が起きれば暴走し、人間の力で抑えることは出来ない事を知った以上、これまで通りの安価でクリーンなエネルギーとして認めることなど出来ないと思うのですが…「安定エネルギーは原子力だけで、自然再生可能エネルギーなんかに頼っていたら、日本の産業は空洞化し、若者たちはみんな外国へ就職してしまいますよ。」などと声高に話す人もいるのです。
先日、私はその方たちと言い合いをしたばかりでした。
一時的には、大変な思いをしても日本には相応しくないエネルギーなのですから…多少の不便さや不合理性があっても日本国に合う安心で安全なエネルギーの方へ段階的に方向転換する必要性はあると思いますし、これまでの原子力に向けていた予算を、自然再生可能エネルギーの方へ向け、原子力から抜け出ることを真剣に考えるべきだと言い張りました。
そばで聞いていた方が「小さな頃から、我が国のエネルギー問題を学習する必要がありますね。」と言いましたので、私は「小学校の副読本に、資源の少ない日本には原子力がいい。クリーンで安価なエネルギーとして国家的に認めているような文章が書かれているのですよ。原子力が国策であり、国の在り方を形づくっている重要な問題であることがはっきりしているのです。大東亜戦争だって、原因はエネルギー問題だったと思いますから、エネルギー問題は戦争にも繋がってしまうすごい問題なのだと思います。エネルギー問題は国の根幹に関わる最重要課題ですから、日本が持つ根深いものとの関わりもあり、地域独占の電力会社が絡む問題は深刻だと思います。時間をかけて論議してからというよりは、菅首相が、首相として日本のエネルギーに対して方向性を明確にしたことは大英断だと思います。」と言いました。
私はこの大震災での教訓は、一人一人が自分の生き方・日常生活の在り方をじっくりと見つめたことだと思います。
そして、自分にとって幸せとは何か、大切にしたいものは何か、大事なものが何であるかなど…東日本大震災前と後では人生観が変わってしまった事を、今を生きる多くの日本人が共有し、大震災という怖い思いを共通体験していることだと思います。
ですから、このことをベースにしてこれからの時代を生きる私たちが何を守りながら人間として生きてゆくことが良いのかという事を真剣に考える時だと思います。
「あなたは、何を大切に?」と、問われれば「いのち」と答える人が大半だと思います。
もうだいぶ前のことですが、尊敬していた神父様が教会の日曜学校で話したことがあるのですが「正しい生き方をしようと思えば、幼子を見守りなさい」と言いました。
子育てをしている母親たちが今回の放射能問題を心配して厚生労働省に出向いたり、線量計を持って子供たちが遊びそうなところを計測したりする姿には、我が子を放射能から守りたいという強い人間としての意思が現れていると思います。
これからは、このような母なるものを基本にして物事を考えながら、発展できる国家を目指すべきだと思います。
涙をこぼしながら訴えるお母さんの言葉には子供を思う真実がありました。
今の時代、私たちはきちんと物事を見極める確かな心の目を持たなければならないと思います。
今日のガンディーの言葉「真理は、確固たる信念が常に伴っていなければならない。」「支えとして神を持っている人を、無力の人と見なすことは罪である。」「世の中は。我々を弱者というかも知れないが、我々は我々の理想を低下させてはいけない。」「我々は、心の中の光で照らされなければ、正しいことは何も行うことが出来ない。」「抵抗することは、人をつくる。」
2011年7月14日
なでしこJAPAN決勝進出!おめでとう!!
今朝は、主人に起こされ、私としてはすごい早起きをしました。
「なでしこJAPAN」は、スウェーデンを破って決勝大会出場を決めました。
日本サッカーの歴史的な快挙であり…素晴らしいゲームでした。
女性のサッカーをゆっくり観たのは初めてでしたがすごく感動してしまいました。
初めに点数を入れられましたが、3:1で勝利しました。
決勝では、アメリカと闘うそうですが…大変楽しみな決勝大会になるだろうと思います。
日本を代表する素晴らしい女性たちがこんなにも大活躍をして下さって…本当に嬉しく思いました。
とてもよく動き、ディフェンスも上手ですし、チーム力も最高だと思いながら見とれてしまいました。
悲願のメダル確定で、見事な試合でした。
東日本大震災の後だけに、今回の「なでしこJAPAN」の活躍は、沈みがちな日本人の心を明るく照らしてくれました。
午前中、久しぶりにF歯科の定期検診へ出掛けましたが「きれいに磨けていますね」と言われました。
今度は10月にという事でした。
以前は、なかなかうまく磨くことが出来なくて何度も手鏡を見せられて歯磨きの練習を教えてもらいましたが…最近は続けて「良く磨けていますね」と言われるようになりましたが、今日は奥の「親知らずの歯もきれいに磨けていますね」と言われました。
親知らず歯の歯磨きを褒められたのは、初めてのことでしたのでとても嬉しく思いました。
今日は早朝からいい事づくめで…とても美味しい昼食を戴くことが出来ました。
今日のガンディーの言葉「自分の成すべき事を、やり遂げた静かな喜びはどんな喜びとも比べられない。」
2011年7月13日
昨晩の「東日本大震災復興 市民との意見交換会in松山」で感じた事…
Blog写真は、昨晩午後7時より大崎市松山公民館2f軽運動場で開催された大崎市議会主催による「市民との意見交換会」の様子です。
大崎市議会からは、関 武徳議員、相澤久義議員、小沢和悦議員、佐藤清隆議員、佐々木惟夫議員、只野直悦議員、斉藤 博議員、富田文志議員、加藤善市議員と9名の議員が松山地域にいらして下さいました。
開会の挨拶を関議員が行い、その後には日程の説明があり、議員の自己紹介が行なわれてから市民との意見交換会が始まりました。
昨日は古川地区で行われたそうですが、出席者がとても少なかったようです。
昨晩の松山地域の意見交換会には、区長さんが多くいらしたようでしたが…27名の方が参加していました。
復興に対する具体的な提言などが多くとても活発な話し合いを行うことが出来ました。
自治体病院建設については、税金などが上がり市民負担が増えるのではないかという心配の声も上がりました。
2008年に現在地にある大崎市民病院の耐震工事を済ませておいたことが今回の大震災では大変良かったことと認めつつも、6月議会で市長は市民病院建設を予定通り進める意向のようですと話し、殆どの議員は異議なしという状況のようでしたが、小沢議員は大崎市民病院移転場所である穂波の郷に関して安全性の再確認を行うべきと市議会として緊急要請をしたと話しました。
復旧に関しては、全壊判定の学校の建て直しや学校の改修工事を最優先すると話し、その後に地域の文化施設や体育施設の改修工事へと続くことを話しましたが、大崎市の財政はかなり厳しくなるようでした。
次に、緊急時にはいろいろな情報はあるが、正確な情報がなかなか出てこないので、災害時にはライフラインに関する情報不足で困ったので、正しい情報の伝え方や受け取りに配慮するようにという話しが出ました。
私が言おうと思っていたことでもありましたが…それは行政の申請主義に関してのことです。
「きめ細かな支援」に対してのことですが、弱者に対する支援漏れが無いようにする為に、ソフト面での予算計上の必要性と、行政のサポートづくりに役場のOB、区長、民生委員の協力などをもらっての行政支援サポートの体制づくりに力を入れるようにと具体的な提案も出されました。
このような手続きに関しても民間では、大変でもきちんと一人一人と向き合って対面方式を取って処理します。
記入用紙への丁寧な説明なども、その場で向き合って指導してくれます。
民間の「きめ細かな配慮」を感じます。
そのように考えると、言葉ではそのように言っても行政サービスはまだまだ行き届いていないと思います。
千年に一度の大災害ですから、行政の混乱も解りますが…工夫次第ではこんな時こそ、行政サービスを身近に感じてもらえる良い機会と捉えて、いろいろな協力をもらいながら申請による支援漏れが無いように町区のS区長の提案を参考にしてほしいと思いました。
松山地域の自主防災組織に関してもこの大災害を今後に活かす為に検証に基づいた自主防災組織の力を高めるように研修会や防災訓練・それに伴う発表の場を設けたりしながら地域の自主防災組織の力を強化するように努め、ケースに応じた情報発信のマニアル化などの提案などもありました。
それから、松山地域の商工会長が、松山地域の商店街の被害の大きさなどを訴え、商工業を中心とした産業振興に対する配慮を要請しました。
最後には、私たちフランク永井歌コンクール実行委員会の仲間が、第4回「フランク永井歌コンクール」を災害復興のシンボルとして捉え、議員さん達の共感も得て災害復興の記念事業として開催を考えてもらえないかと新たなる大崎市創生の第一歩に向けての提案をしました。
以上で議員との意見交換会は定刻8時になり終了となりましたが、地域住民にとっては一番身近な区長さん達の出席が多かったことはとても良かったことだと思いました。
今回の大災害でも、区長を中心とする松山地域の自主防災組織は大変よく活躍して、地域住民からは高い評価を受け、とても感謝されました。
昨晩の集まりでも、地域住民の一番身近な存在であることを自覚している区長さん達の姿はとても心強く感じました。
提案型のいろいろな意見を吸い上げて…秋に策定するはずの大崎市の復興基本方針に活かしてほしいと思います。
今日は、気の合う人たちと共に加美町のやくらいガーデンでお祝いを兼ねた食事会をしました。
とても充実した時間を過ごすことが出来ました。
加美町の自然の懐は深く、やくらいガーデンのチャペル付近の自然はきれいに整備されとても素敵でした。
今日のガンディーの言葉「精神は、善良な人々の仲間がいなければ干上がってしまう。」
2011年7月12日
東北地方もいよいよ梅雨明けの模様…
東北地方も梅雨明けしたようですね!
本格的な夏の陽射しが朝から降り注いでいます。
昨年以上に暑い気がしますが…昨年の暑さは9月になっても続きました。
「今年の方がまだいいかも」なんて言う人もいましたが「いいや昨年の方が酷かったよ。今年はまだ、熱帯夜は無いからね!」という人の言葉を聞いて…そう言えば昨年は扇風機を微弱にして一晩中かけた夜が何日かあった事を思い出しました。
私たちも昨日は暑さでだいぶ疲れました。
見ていただけですが…目覚ましかけ忘れのせいもあったかも知れませんが、今朝は7時55分に目が覚めました。
ぐっすり眠って一度も目を覚まさず10時間も眠ったことになりますが、ホント熟睡でした。
でも昼食後にはまた少し眠くなったりしています。
熱中症は目覚めに多いと言われますが、寝ている時にはずいぶん補給もしませんから、血液も濃くなっているのでしょう。
それで急に目覚めて動き出し、具合が悪くなるということかも知れないと思いました。
目覚めたらコップ一杯の水は大事なようですね。
今日は、NHK放送受信料免除手続きについてのお知らせが届きました。
ここでも「り災証明書」の写しが必要になるようですが、災害の申請についてはお聞きしたいことがありましたので℡を入れましたが話し中でかかりませんでした。
「り災証明書」や「被災証明書」に関してですが、このような申請をすることに大変な人もいますので、何とか考えなければいけないと思っています。
面倒くさいからいいとか、どうすればいいのか解らないから…とか、という話しを聞く度に、私は積極的に行政のサポートをする人の存在が必要だと思っています。
例えば役場のOBとか区長とか民生委員の方々に手伝ってもらって、対面式で説明などをしながら一人暮らしの方でも高齢者でも簡単に申請が出来るように配慮すべきだと思うのですが…
未曽有の災害の後ですから、簡単に手続きが出来るように行政サービスをすることが、今は特に求められている時だと思います。
今夜は松山地区で午後7時から大崎市議会主催で大崎市の今後の震災復興に活かそうと市民との意見交換会を開催しますので、このあたりのことを聞いて来ようと思っているのですが…
今日のガンディーの言葉「大きな事ではなく、良い事を考えよう。」
2011年7月11日
第93回「全国高校野球選手権宮城大会」地元松山高校の応援に!
東日本大震災から4ヶ月を迎えた今日、7月11日は主人の誕生日です。
Blog写真は、長男の嫁・Mさん手づくりのバースディ―ケーキです。
甘さを控えた生チョコのバースディ―ケーキはとても美味しく、主人と一緒に戴きました。
今日は、午後2時から東北福祉大学野球場で地元松山高校と泉松陵高校との野球の公式戦がありました。
高校球児たちの夢・甲子園出場を賭けて戦う・第93回「全国高校野球選手権宮城大会」の開催です。
私たちの地域の県立高校・松山高校硬式野球部の戦いの日でしたので、午前11時半頃に松山を出発して、東北福祉大学野球場を目指しました。
4号線から仙台北環状線を通って国見にある東北福祉大学野球場を探して行きましたが、偶然で野球場の駐車場まで行くことが出来ましたが…何処をどう通って到着したのか、私には解りませんでしたので、もう一度行くように言われたら迷って困るだろうなと思っています。
運転手の主人も「大体は解るけど少しは迷うかもなぁー」と言っていました。
第2試合は、多賀城高校と宮城農業高校との試合でしたが、とてもいい試合で…宮農が勝利しました。
第3試合は、午後2時半から始まり、午後5時終了でした。
とにかく暑い暑い一日でしたが久しぶりの高校野球観戦はとても楽しかったです。
松山高校の子ども達は、練習不足だったようですが、伸び伸びとして守りの時の声出しも元気で9名のプレーヤーは最後までよく頑張りました。
松山は1回表に1点。8回表に1点。対松陵高校は1回裏に1点。2回裏に2点。6回裏に1点。7回裏に1点。8回裏に2点。と、松山は2点。松陵高校は7点。
7:2で松山高校は敗れました。
高校球児たちはいつものように汗だくになって全力で白球を追いかけていました。
午後3時半頃からは、涼やかな風が球場に吹き始めて、上空が少し曇り始めたのですが…おしまいまで雨が降ることも無くカンカン照りの陽射しも和らぎ、気持ちよく観戦できました。
松高の課題は1点に執着する気持ちが不足していることだと思いました。
松山は少ない部員で高3生は3人だけでしたが、田村投手は最後まで落ち着いて良く投げ通したと思いました。
主人は「今日は76歳のいい誕生日を迎えることが出来たよ。大震災から4ヶ月の節目の時に高校生の溌剌とした姿を見ることが出来て本当に良かった!」と「いつもは誕生日なんて!」と言っているのですが…今日は違いました。
帰りには泉ICから古川ICまで高速を走りましたが、午後6時55分の古川ICは少しの混雑も無くスムーズに降りることが出来ましたが…久しぶりの高速道路には大型トラックがたくさん走っていて、東日本大震災前よりも交通量はとても多いように感じました。
熱中症の心配も無く、大変暑かったけれども、水分をたくさん取りながら久しぶりに大きな声を出しながら地元松山高校の応援をすることが出来て大満足でした。
1塁側のスタンドには、松山高校生や先生やご父兄、野球部OB、そして地域住民が駆けつけ…思った以上に多くの人々が温かい声援をおくっていました。
やはり、高校野球はいつも通り楽しいものでした。
今日のガンディーの言葉「一つの種から生まれる全ての活動は、同じ種とお互いに混じり合う。」
2011年7月10日
もう、梅雨明けなのではないでしょうか?すごい真夏日が続いて!
連日の暑さが続いています。
午前中には少し長めで、やや強めの横揺れ地震がありました。
津波注意報も出ました。
昼近くには津波注意報は解除されましたが…明日7月11日で、あの東日本大震災から4ヶ月を迎えようとしています。
毎日の暑さを考えると…避難所での生活を余儀なくされている人々の精神状態とお身体が本当に心配になります。
もう、いくら我慢強いと言われている東北人でも、そろそろ我慢の限界だと思うのですが…
夕べは寝苦しさを感じる夜でした。
私は、足元に1時間だけタイマーをかけ微弱の扇風機をつけて休みました。
東北地方の梅雨明け宣言はまだなのでしょうか?
道路の照り返しの暑さには本当に参ってしまいます。
私には梅雨明けしたように思えるのですが…
夕方、台所に立つのも暑くて嫌だなと思うようになってしまいます。
出来るだけ火を使わないようになどとも思うのですが…あっさりしたものだけでは元気が出ないような気もしますが、冷たいものだけでは身体が疲れやすくなるようにも思います。
冷たいものを取り過ぎると食欲が無くなることがあり、夏バテし易くなることがあります。
以前、一度だけひどい夏バテを経験したことがありましたが…涼しくなるまで食欲のない日が続いて大変だったことがありました。
茄子漬とコーラーが主食という夏を過ごしたことがありました。
とても辛い夏でした。
その後は、夏でも冷たいものよりは温かいものを多くとるようにしています。
水分は取りますが、温かいお茶や温かいコーヒーを出来るだけ飲みようにしてからは、ひどい夏バテはしなくなりました。
皆様方も、くれぐれも健康管理に気を付けて暑い夏をお過ごしくださいませ。
今日のガンディーの言葉「人生が薔薇にたとえられる。人生には棘がいっぱいあるからだろう。」
2011年7月 9日
大崎市古川Fプラザで行われたシンポジウムでは活発な意見交換が出来て!
今日も昨日と同じでとても暑い一日でしたが「シンポジウム」の会場である大崎市古川保健福祉プラザ(通称Fプラザ)は別天地の涼しさでした。
午後1時半予定通りに大崎市の震災復旧・復興を語るシンポジウムは開会となりました。
開会の挨拶は高橋憲夫議員で、初めに今回の大震災で命を失った方々へのご冥福を祈り黙祷を捧げてからシンポジウムは開催しました。
初めにこのシンポジウムの世話人代表として大友文司議員が挨拶をし、コーディネーターを務めた佐藤講英議員からシンポジストの紹介があり、本日の進行についての説明がありました。
Blog写真は「災害に強いまちづくり」というテーマに基づいて、東北大学大学院教授・大崎市震災復興計画策定市民会議委員長 ・源栄(もとさか)正人氏が講演をしていらっしゃるところです。
大崎市の自治体病院移転問題について市民の間では「災害拠点病院として自治体病院建設場所の穂波の郷が心配!」という声が上がっている為に、世話人の議員たちは源栄先生に自治体病院建設の立地問題の基準は何かという観点からの話をお願いしたそうです。
源栄先生は「技術的には何処へでも建てられます。」とおっしゃいました。
そして、病院建設で大事なことは「日常の利便性と災害時への備えと建設コストです。」と話し、更に「自治体病院は何処へでも建てられますが、地元の人間が何を大切に考えるかが大事である。」と導きました。
続いては「大崎市市民協働推進部長・高橋英文氏」が、大崎市の復興計画策定「基本理念と方針」に基づき~真の豊かさ 連携と協働による大崎の創生~という基本理念を説明して、新しい大崎市のまちづくりの方向性を話して下さいました。
次は「古川商工会議所副会頭」の千葉 基さんが大震災後に議員たちに呼びかけてコンパクトシティーの提案をしたと話し、地域産業振興へ向けて具体的な提案7つを紹介し、地元農産品の事業創造なども手掛けたいという積極的な話も盛り込まれました。
次のシンポジストは「JAみどりの組合長」の相沢成典さんが沿岸部の稲作の手伝いを実践していると話し、基本的な取り組みとしては、3・11前の生活に戻すことを一番に考えて倉庫やカントリーを早く直そうとしていると話し、食の安心や安全を考えると福島第一原発事故の問題は非常に大きな問題であると話しました。
次は、Fプラザに事務所を持っている「大崎市老人クラブ連合会会長」の小原 茂さんは老人クラブの原点である健康増進・助け合いの精神が今回の大震災には大変役立ったと話しました。それから、自治体病院建設にも触れ、穂波の郷に決まっている移転建設場所の地盤の心配を述べました。
シンポジストの最後は私ですが「菜の花の広場」女性代表として菜の花の広場の説明をさせてもらい、大崎市の自然環境の素晴らしさと豊かな食材、七つの地域文化が息づく地域づくりに力を入れることと、何よりも地域の子ども達をしっかり守るという心構えが大事だと思うと話し、今回の大災害については、大崎市の被害状況の特徴をしっかり分析して、大災害が与えた影響を考えてみる事が大切だと言い、これからは、母なるものの考えを根本において地域再生を考えた方が良いのではないかと話しました。
この後は、フロアーから具体的な復興に関する意見や、大崎市が自然再生可能エネルギーに積極的に挑戦してゆくべきだとか、プール使用については放射能物質の問題があるので、子供たちの将来の健康のことを考えてその日の放射能の値などもマメに情報として知らせてほしいという要望も出されました。
主な意見としては、自治体病院建設に関する意見や原発問題を契機にしたエネルギー問題などと、高齢者や、一人暮らし、弱者に対する行政の申請主義の限界などを感じさせられる発言が多かったようです。
午後4時まで、熱心な意見交換が行われました。
来週からは大崎市議会主催の東日本大震災対策調査特別委員会が大崎市8会場に分け、市民の大震災の体験や意見などを災害復興に活かすために意見交換会を行うそうです。
地域のニーズをくみ上げる仕組みをつくることはとても大事なことだと思いますので、いろいろな所でご自分の考えを述べて頂きたいと思っています。
7月11日古川地区(Fプラザ多目的ホール)19:00~20:30
(長岡地区公民館)19:00~20:30
12日松山地区(松山公民館2F軽運動場)19:00~20:30
12日田尻地区(沼部公民館 視聴覚室)19:00~20:30
13日鹿島台地区(鹿島台総合支所大会議室)19:00~20:30
13日三本木地区(三本木総合支所ふれあいホール)19:00~20:30
14日鳴子温泉地区(鳴子公民館)13:30~15:30
14日岩出山地区(岩出山総合支所大会議室)19:30~20:30
今日のガンディーの言葉「真実を話すには、繰り返し、繰り返し、自分の言葉を良く考えて言わねばいけない。」「単純の中で大きさがあるように、良きことは存在している。決して豊かさの中ではない。」
2011年7月 8日
我が家のすぐ近くでも解体工事が…
昨日から大がかりな解体工事がギャラリーのすぐ近くでも行われるようになりました。
朝から屋根や壁などを引き裂く音が大きく聞こえています。
丁度、大崎市松山文化丁区の表通りに面している所なので、かなり神経を使って解体工事をしているように見えます。
解体工事に関しても解体費用面など、自治体によって取り扱いはまちまちのようですが…住宅であれ、店舗であれ、事業所であれ、作業所であれ、危険で壊さなければならない状態であれば解体は当然のことだと思います。
二次災害を防止する為にも危険であれば取り壊しが当たり前になると思います。
このような工事を見るにつけても、巨大地震の大きさの恐怖を身近に感じます。
今日も、午前3時過ぎに揺れに気づいて飛び起きました。
震源地が福島県沖で、揺れの強い所では震度4。
大崎市は震度3でしたが、寝室で寝ている時の地震の揺れはとても大きく感じてしまいました。
その後は眠りましたが、揺れを体感すると今以上強くなるのではないかといつも思ってしまって怖くなります。
おさまると本当にホッとします。
最近の地震情報では津波のことをいち早く伝える傾向なのでいい事だと思います。
いつ来るか解らない地震を怖がってばかりはいられませんが…3月11日以降、心の奥底に重いものがあり…いまだ軽くなることはありません。
昨晩は、年に一度の願い事が叶うと言われる七夕でしたが、やはりいつもとは違う気持ちの七夕さまでした。
大崎市松山地域では、町の商店街がひどい被害を受けています。
取り壊しをして、街並みに隙間が出来、新店舗にするところも少しはありますが、壊したままの更地も目立っています。
地域の活力がどんどんなくなるようで寂しい限りです。
それでも、古い地域の歴史を大切にしながら、せめて安心して子供たちを育てることのできる健全な地域社会を保つよう心掛けたいと切に願っている私です。
今日は午後2時15分から、松山中学校に於いて親子音楽鑑賞会「SINSKEマリンバ・コンサート」が一般の人たちにも声掛けをして行われます。
久しぶりに素敵なマリンバの音色に耳を傾けたいと思います。
~~私たちは午後2時頃入室しましたが、松山中学校の体育館は、ただ座っているだけでも汗が流れてくるような暑さでした。
定刻通り、フラットな舞台での演奏会がはじまりました。
正面には「マリンバ・コンサート」限界突破~さらなる高みへ~という横断幕が貼られていました。
「親子音楽鑑賞会」の会場では、中1生から中3生が舞台近くに座り、その後ろに父兄席が設けられていました。
SINSKEさんのマリンバの音色はとても素敵でした。
すごく新鮮な音色のマリンバという感じがしました。
お隣小牛田地区の高3生のヒロキ君も演奏に加わりSINSKEさんと一緒に演奏したり、特別ゲストとしてバイオリン奏者の石亀協子さんも素敵なバイオリンを聴かせて下さいました。
ラスト・ナンバーは、ラヴェルの「ボレロ」を演奏しましたが、大変有名な曲で同じリズムの繰り返しが最後まで続く曲想ですが、繰り返しながら小さな音色がどんどん大きくなり壮大なものへと高まって行くバイオリンとマリンバの奏でる音楽がまさに限界突破を意味し、更なる高みへといざなうかのように私の心に響いてきました。
とても暑い中での演奏は本当に大変だったことと思いましたが、外からは時々小鳥のさえずりが聞こえて来たりして…素敵なひと時を過ごさせて頂きました。
地域の子ども達と共に耳を傾けたSINSKEさんのマリンバ・コンサートは、心に残るものとなりそうです。
SINSKEさんは、コスモスの種もプレゼントして下さいました。~~
今日のガンディーの言葉「喜びも悲しみもお互い連続して生じる一組のものが、人生の中で生じる全ての事の真相である。結果として心の中の平和を持つ事により、反対の組み合わせを克服出来るに違いない。」
2011年7月 7日
大崎市の震災復旧・復興を語る“シンポジウム”開催のご案内!
今回の東日本大震災では、沿岸部で発生した大津波の被害が大きく、又、福島第一原発問題なども発生してまだ収束せず…あの震災からもうすぐ4ヶ月が経とうとしていますが、私たちは不安な日々を過ごしています。
この大震災では、大変悲しいことですが大崎市在住の14名の方々も命を失っているそうです。
あの大きな揺れの恐怖や、これまで経験したことのないような不便な生活を体験して…自分の生活を足元から見つめ直した人々はたくさんいらしたようです。
当たり前の生活と思っていたことに対する思いは、3・11前と3・11後では大きく変わりました。
市内では、巨大地震により住宅・店舗・事業所・作業所などが被害を受け、それによって事業所の閉鎖・休業などにより失業された方もいますし…市民の不安は増すばかりです。
今回のシンポジウムは、これからの大崎市の復旧・復興について、市民の間で議論を巻き起こし、その積み重ねで大崎市が10月までに策定するとしている「大崎市震災復興計画」に反映されるような契機にしたいという思いで企画したそうです。
私も「菜の花の広場」女性代表としてシンポジウムに参加することになっています。
シンポジストの意見の後には会場にいらしている方々にもご発言を頂いて意見交換会をするそうですので、どうぞ気軽に参加をして頂き、これからの大崎市についてみんなで語る集いになればと思います。
この集まりには大崎市震災復興計画策定市民会議委員長の源栄正人氏もシンポジストのお一人として参加して下さるそうです。
日時:7月9日(土)午後1時半より
会場:大崎市古川保健福祉プラザ 2f多目的ホール
今日のガンディーの言葉「もしも、関連性がなければ重要性のあることであってもその重要性を失います。どんな小さなことであっても、関連性のあることは重要性なのだということです。」
2011年7月 6日
暑い中での作業は本当に大変!
今日も暑い一日が始まりました。
午前10時から松山公民館でBP教室がありました。
終了した時に、受講生の中から「この解放感がたまらないのよね!一人でやってもこれだけの解放感は得られないけど、自分で身体を動かしてリラックスする事はいいわね!!」という話しが出ました。私も同感でした。
所々で眠くなってしまうのでM先生に悪いなと思いながらも…ほんの少しだけ眠ってしまいますが、その気持ちの良さは何とも言えません。
いつもM先生は「眠ってもいいですよ。眠くなって眠ることは身体にいいことですから、寝ていいですよ」と優しく言って下さるのですが…
帰って来ましたら作業を頼んでいた業者さんが暑い中で片付けをして下さっていました。
本当に久しぶりの作業でした。
今、作業屋さんは大忙しで、この所いらしていませんでした。
主に沿岸部の方の仕事をやっていたそうです。
お昼をご一緒しましたが、話題は松本復興大臣の辞任のことでした。
「あの物の言い方は、被災地を見下げた言い方ですよね。全く、東北を馬鹿にした言い方だ!」と怒っていました。
何度も繰り返される映像からは、指を差しながら話す松本復興大臣の無礼な態度がとても高圧的に見えることは確かだと思います。
今日からやっと国会が再開されましたが、相変わらずの国会で…与野党が協力して今回の災害対策に臨むことは大変難しいことのように感じました。
千年に一度の大災害に見舞われ、苦しんでいる被災地の方々の生活を目の当たりにしても、与野党が現段階で協力出来ないというのであれば、協力体制が組めるようにするしかないと思います。
野党が反対しているバラマキと見られるものを全て止めて、法案をいち早く通す事しかないと思います。
もっともらしく、いつまでも引き抜き人事のことを質問したり、失礼な言動で辞任を決めた松本議員のことや、任命権者の責任問題など…どれをとっても復旧・復興への足掛かりとなるものではありませんが…菅首相は任命責任については陳謝しました。
ここから前に進むことが一番大切なことだという共通の認識があればいいのですが…
私たちの国民の思いと永田町で暮らす方々の間の溝は広がるばかりだと思いながら空しい気持ちで国会中継を見ています。
原発の問題も深刻になるばかりで、小さな子供を持つ御父兄の不安は募るばかりです。
心配は子供たちの未来に関することですし、先のことへ対するどうしようもない不安に苛まれているわけですが…原発に関するセンセーショナルな見出し記事の週刊誌などを目にすると、正直、私も大変不安になってしまいます。
それでも私は、新たに就任した平野復興大臣には期待したい気持ちでいっぱいです。
午後3時前に、自在窯&ギャラリーの作業場から荷物をたくさん積んだ大型トラックがギャラリーの構内から出て行きましたが、暑い中で一生懸命に働いている人々の姿が、とても逞しく、確かな信じられる人々の姿として私の目に入りました。
今日のガンディーの言葉「我々はもしも、手段について注意深く見るに、結果は自ら判ってきます。言い換えれば、手段と結果の間に差は出ないという事です。」
2011年7月 5日
復興大臣は被災地の痛みに寄り添える人で、夢や希望を共に話せる人物がいい!
甘くて美味しいさくらんぼが届きました。
昨日の夕方近くには梅雨前線による大雨が降りました。
遠くから雷の音も聞こえましたが、一時は大変雨音が強くなり、真夏によくある集中豪雨のようでした。
日本全体が亜熱帯化しているようで、私はとても気がかりです。
大雨の後は少し涼しくなりましたが…うっとうしさは相変わらずでした。
今日も天気予報では大雨の心配を報じています。
昨日から大きくマスコミが報道しているのは、被災地で懸命に3月11日からずっと陣頭指揮を執ってきている知事たちに対して、お客様感覚で、しかも上から目線でクレームをつける松本復興大臣の失礼な物言いです。
今朝、松本大臣は被災地の為に復興大臣としてまだ何もしないまま退任会見を開きました。
被災地東北を見下げたような言い方の裏には松本大臣のいろいろな思いがあるのかも知れませんが…被災地に寄り添っている方の言葉とは思えませんでした。
何よりも復興大臣には、被災して喪失感に苛まれ、苦しんでいる人々の心に寄り添える方に就任して頂きたいと思いますし、被災地を目の前にしながらも、夢や希望を共に語れる人物になってほしいと願っています。
あのような高圧的な物言いには…見放されるかも知れないという恐怖さえを感じてしまいました。
そうでなくても被災者は大きな傷を受け、それでも何とか立ち上がろうとしているのですから。
どのような組織であれ、常に指導者は心温かい人間であるべきです。
今日のガンディーの言葉「祈る人は、舌でなく心を必要とする。心無くして言葉は意味を持たない。」
2011年7月 4日
市が公文書を不存在と決定した考えられない通知とは…
初夏の装いを感じさせるお花を頂きました。
今日は、或る方が午前中にいらして「自分が欲しい公文書を手に入れようと思い大崎市情報公開条例に基づいて請求をしたら考えられないような通知が来た」と言って憤慨していました。
彼が請求をした公文書に対して市は…大崎市に公文書が存在しない理由として「東北地方太平洋沖地震及びその余震により、書庫が損傷し物理的に公文書が取り出せない状況となっている」ということを言ってきたようでした。
その方が、破損理由を良く聞いたところ「鍵が壊れて書庫が開けられない」という答えだったそうです。
私は「業者さんに頼んで鍵を直してもらえばいいのに。このことを理由にして公文書不存在の決定通知をすることの方がおかしいと思うけど。あとは、納得できない理由として異議申し立てでもしたらいいんじゃない。公文書の保存期間なども聞いておいた方がいいと思うけど…」と言いました。
これでは、いくら情報公開条例があっても、このような事を理由にして公文書不存在を決定して通知するのでは話しにならないと思いました。
書庫が破損して物理的に公文書が取り出せない状況などという事を公文書不存在の決定理由にせず、まずは市としては、破損した部分を早急に修理して、いつでも物理的に公文書を取り出せる状況にすべきだと思います。
それにもっと言えば、書庫が損傷して公文書を物理的に取り出せない状況を…公文書の不存在と決定するには無理があると思います。
不存在というのは存在しない事を指すのであって…今は物理的には取り出せなくても公文書そのものはあるという事ですから…矛盾があると思います。
このような事例こそ、まさしく行政の怠慢と悪口を言われても仕方ない出来事だと思います。
もうすぐあの大震災から4ヶ月です。
自治体対応のまずさなどいろいろ聞きますが、とにかく物理的にいち早く公文書を取り出せる状況にして一市民の情報公開条例の請求に答えるべきだと思います。
今、国民市民が求めているものは誠実さだと思います。
不誠実さを嫌う人々はますます増えるばかりです。
今日のガンディーの言葉「人間は、彼自身の人間性によって、本当のことを知らされている。」
2011年7月 3日
国会70日会期延長が決まったのに、今、何故、政治空白なのか?
せっかく、揉めに揉めて何度も協議を重ねてやっと70日国会の会期延長を決定したはずなのに…自民党の浜田議員を引き抜いたとして自公民は審議拒否をし、菅総理のやり方は許しがたいとして、実にくだらない事を言い訳にして…国会はこのような緊急事態にも関わらず政治空白を生んでいるとは、決めた事が実行できない口惜しさ、どうでもいいようなメンツにばかり拘り、目の前で苦しんでいる人々を救おうともしない政治家たちの言動には本当に呆れ果てています。
今回の政治停滞は、民主党の呼びかけに対して、巨大野党である自公民の怒りがおさまらないのが原因のようです。
「1本釣りした、された」という事を問題にしているようですが…これまでも政治家には良くある現象だと思います。
自分の政治家としての思いの為に、党を出たり、寝返ったり、新党をつくったりすることは政治家のお得意のまきだと私は思っていました。
それが結果として、国民の為になるという信念があれば…それはそれで構わないと思いますし、むしろ、私は支持したいと思っているくらいです。
それなのに、何故、今回だけは、自民党は「自分の党に中に手を入れられた。許しがたいこと。」として大騒ぎをするのでしょうか。
他党は「早く国会を開いて一日も早く審議すべき!」と主張しています。
大事なことは、決め事を決めた人たちが、無駄な空白を生まずに一日も早く審議して復旧・復興に関する法案を速やかに通して、被災地を救う手だてに真剣に立ち向かうべきだと思います。
大きな不安を抱えて毎日を過ごしている人たちに、小さくてもいいから希望の灯りが持てるようにしてほしいと祈っています。
町内の子供会でも、中学校の生徒会でも、みんなで決めた事は実行することが当然として子供会も生徒会も…みんな動いているのですから。
今日のガンディーの言葉「自分自身の過ちを見ようと望むことはない。しかし、他人の過ちを探し出すことに喜びを持つ。多くの不幸は、この習性から生起するのだ。」
2011年7月 2日
午前中は「歴史講演会」を聴き、午後からは松山小学校の「授業参観」に臨んで!
今日の午前中の大崎市松山地域のお天気は、曇り空で蒸し暑く、歴史講演会の会場(松山公民館2F軽運動場)は、節電の為クラーなし、窓全開で、仙台市博物館市史編纂室室長の菅野正道氏を講師にお迎えして「戦国時代の松山・遠藤氏」の歴史講演会が始まりました。
いつもはお隣の会場(大崎市松山青少年交流館)で開催ですが…地震の為の改修工事がまだ済んでいませんので、軽運動場でということになったようです。
歴史講演会の始まりには茂庭会 会長宮本亨一氏が挨拶をしました。
茂庭会主催の「歴史講演会」は、昭和62年からスタートしておりますが、平成20年からは、まつやま訪ね歩きの会と松山文化財愛護協会と三会合同で開催するようになって今日に至っていますと挨拶をしました。
今日も暑い中、大勢の人たちが会場に集まりましたが、旧町時代から松山は「花と歴史の香るまち」というキャッチフレーズを大事にしながら地域づくりをして参りましたので、地域の歴史に対しての関心度は高く、茂庭のお殿様を中心にして栄えた地域であることに住民の方々は誇りを持っていますので「歴史講演会」はいつも満員でとても好評です。
今回のテーマである遠藤氏についての知識は私には殆どありませんでしたので…興味深くお話を聴きました。
茂庭氏が入る前の戦国時代の話ですから、事実関係が良くつかめないところあり、遠藤氏についてはやや伝説的なところもありますが、と前置きをしてから菅野先生は話し出しました。
遠藤氏は平安時代藤原氏一族の流れをくみ、遠藤武者盛遠・文覚上人を祖としています。
戦国時代の遠藤氏の存在が歴史的にはっきりするのは光定の時で伊達氏の天文の乱の後、伊達氏の「一族」に列せられ、松山庄における勢力を確立したそうです。
中世期の陸奥国の荘園(長世保 ながせのほ)。範囲は旧松山町、鹿島台町、南郷町と想定されるところから松山庄(まつやまのしょう)松山郷(まつやまごう)という素敵な呼称なども教えて頂きました。
「大崎・葛西一揆」が起きた時には、一揆討伐に際して政宗は、松山千石城を軍事前線基地としたそうです。
遠藤氏は志田郡松山領から登米郡石森村に所替えとなり100貫文(1,200石)となったそうです。
そして、その後、何度かの所替えや親族への分地を経て1687年に胆沢郡下衣川に所替えとなり…仙台藩重臣として幕末まで続いたそうです。
最後に菅野先生は、広田宗綱氏と伊達政宗の面白い話し(鷹狩りの名人・広田氏に政宗が広田流鷹狩りの術を習い、その広田氏の娘が政宗の乳母であった事)をして下さって、歴史講演会は終了しましたが、他のレジメと一緒に仙台市博物館所蔵国分家文書 広田宗綱鷹術伝授状のコピーも配布されました。
この文書は広田氏から国分氏に差し出したものですが「この度の、鷹狩りの稽古に関しては、何でも聞いてくれれば、何でも教えるから気軽に聞いて下さい。」と書かれてありました。
鷹狩りが大好きな政宗には広田氏の広田流の鷹狩りの術は伊達家の中で相当広まったようですし、広田氏の娘・乳母と合わせて戦国武将伊達政宗の人格形成に大いに影響を与えたという話しはとても興味深く聴くことが出来ました。
いつ聴いても「歴史講演会」は面白くとても楽しみです。
午後からは、お隣の大崎市立松山小学校の授業参観へ出掛けました。
先日、回覧板で「地域の方々もお越しください!」という呼びかけがありましたので、私は5年生の授業「国土の気候の特色と人々の暮らし」と題する、グラフの読み取り方の授業を参観しました。
指導者の女性の先生は、コンピューター室で映像を使いながら、グラフを読み取る時には何のグラフかというタイトルを見ることが大事であると話し、6分間の時間を与えて1から4までの答えを探すよう指示しました。
子ども達は、後ろや横にいる父兄たちをだいぶ意識して…少し緊張気味でした。
6分が経過してからは、当てられた生徒はタイトルを読んでから棒グラフや、割合を表わす円グラフや、帯グラフなどを読み取り、答えを述べていました。
最後は、棒グラフと折れ線グラフから読み取れる雪国の天候について発見した事や気づいた事などを発表しました。
因みに棒グラフは降水量で、折れ線グラフは気温を表していました。
夏の気温の特徴は少ないが、冬の降水量は多く、降水量が多いと気温は低いetc~~子供たちはそれぞれに自分の気づきを発表しました。
私が子どもだった頃とは大違いで、かなり考える授業が展開されているなと感じました。
きれいな校舎にはそよそよと気持ちの良い風が吹き抜け、大崎市立松山小学校の子ども達は大変元気で、今日はいい笑顔をたくさん見ることが出来、幸せな気持ちでギャラリーに戻りました。
13時15分から14時までの45分の授業参観はあっという間に終わりましたが「地域と共に歩む学校づくり」を目指す大崎市立松山小学校は、知・徳・体の調和のとれた子供たちの育成を願って、今日も前進し、頑張っている様子でした。
子ども達の元気な姿を見ることはとても心弾むことだと思いました。
今日のガンディーの言葉「人は自分自身を外部で探す事によっては、高めるはずがない。成長への展望は内部に存在している。」「知識とは、唯、自分自身を知ることが出来る事である。他の言葉で言えば、知識とは自己の実現を意味する。」
2011年7月 1日
幾つになっても解らない時には聞いてみることが大事!
最近思っていることですが「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という幼い時から何度も耳にした諺の意味深さにあらためて素直な気持ちで生きることの大切さを感じています。
人はいくつになっても知らない事や解らない事があるものです。
そんな時には、応えてくれそうな人に℡をして聞いたり、相談的に話して尋ねてみることが大切だとつくづく思います。
私の知っていた人で社会的には偉い伯父様の口癖は「人にものを教わったり、聞いたりするのは絶対嫌だ!」でした。
こちらは、普通に話しているつもりでも、受け取り方が極端で…最後の方には「俺に命令する気か!」という強い言葉が出てしまい、大変話しにくい人でしたので、私はかなり大人になるまでは、唯一、会話を出来るだけ避けていた方でした。
もうこの世にはいない人ですが、今考えると孤独が嫌いなのに、自分から孤立してしまい寂しい人だったことが良く理解できます。
私の父もどちらかというと人に尋ねることをしない人で、何でも自分でとことん納得するまで調べる人でしたが、それほど極端ではありませんでした。
父には「安易な方法で解ったことはすぐに忘れる。自分のものにするまでは時間がかかるものだし、解ったことを活かして使うにはそれを活かすだけの力を持っていないと駄目なんだぞ!」とよく言われましたが…私は何でも質問して、自分で納得するやり方で"いつも聞くは一時の恥"を実践してきた方の人間です。
私は「聞いてみて良かった!話してみて良かった!」と思うことの方が圧倒的に多いです。
人は、打ち解けて話してみて良かったと思えることの方が多いはずですので、いくつになっても素直な気持ちで解らない事は聞いてみることが大切だと思います。
今日は信頼している方に…大変気懸りな事を尋ねてみました。
その方はすぐに行動に移して下さいました。
きっといい形で解決出来るはずと思いますが、自分一人の力だけでは出来なくても適材適所の人の力を借りて解決できることも多々ありますので、何事もTryしてみる気持ちを持って生きることは大切なことだと思います。
特に大震災に遭遇した被災者の方々には声を大にして言いたいと思いますが、一人で悩まずに誰かに話してみたり、聞いてみたりしながら…生き易い方法を時には他人の力を借りたりしながらも、強く生き抜いて頂きたいと思っています。
今日のガンディーの言葉「ナナクは言っています。『額に汗して得たパンを他の人に分ける人こそ、本当に正しい人と呼ばれる人だ。』と。」「もし、真実なら一つの言葉でも十分であり、不真実な言葉であれば、どんなに多言であっても何の役にも立たない。」