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2013年10月 3日

祈りの姿には日本人の原点が…

10月2日、昨晩は、TVのいろいろなチャンネルで、伊勢神宮で行われた「式年遷宮」を報道していました。

8年間にもわたる行事のクライマックスでは20年に一度、社殿を建て替え、奉納する全ての物なども新調して神様に引っ越しをして頂く式年遷宮の様子が映し出されており…飛鳥時代から続くと言われる厳かな神事が執り行われ、今年で62回目の「遷御の儀」が内宮で営まれたようです。

安倍首相の参列に賛否の声が上がっているようですが…靖国神社への参拝とは違うと思います。

しかし、日本国の首相ですから私人として…と、言っても、やはり首相の立場はどこから見ても公人であることは確かだと思います。

そうであっても、日本の伝統行事である伊勢神宮で行われた今回の神事には、国民の代表として参列したと考えることが妥当だと思います。

誰にとっても手を合わせる行為は、祈りの姿であり、人としての素直な気持ちの顕れだと思います。

「政教分離」を問題にする人もいらっしゃいますが…伊勢神宮は別だと思います。

繰り返すことの祭事に永遠性を観るという素晴らしい日本的な伝統行事だと思います。

私の亡くなった祖母は、ある宗教の熱心な信徒でしたが「1年に一度はお伊勢参りを...」と言い、80歳までは毎年伊勢神宮にお参りをしていましたし、私にも「日本人なら一生に一度はお伊勢参りに行きなさいよ!」と、参拝が終わって自宅へ帰ってくる度に言っていました。

父母は、何年かに一度は行っていたみたいでしたが…私は主人と結婚をして、つい5年ほど前に初めて地元の鎮守様・羽黒神社の計らいで伊勢神宮にお参りをしました。

「日本人なら、伊勢神宮へ行くべき!」と、いうのが祖母の口癖でしたが…帰って来た時に私もこれで本当の日本人になれたような、そんな気持ちになれたことを昨晩は思い出し、祖母にはいろいろなことを教えてもらったと懐かしく思いました。

宗教心や信仰心を持つことは、人として良く生きるには大切なことだと言い、いろいろな宗教があっても本当の宗教の根幹は同じで、人の幸せを願うもの…衝突などはしないはずといつも言っていました。

そして、朝起きると太陽に向かって何かを唱えて必ず合掌をしている人で、それは、母も見習っていました。

雨の日でも「雨は降っているけれど、その奥にお日様がいて顔出したい」と言っているんだよと言い、手を合わせていました。

孫たちには「日本人は、昔から何にでも神様が宿っていると思って生きてきた国民なんだよ」と、繰り返し話してくれた人でした。

ですから、日本の神道を敬うおばあちゃんの教えは、マハトマ・ガンディーと同じだと思いながら成長した私です。

不思議なものですが…理屈抜きに、手を合わせると心が落ち着き、清々しい気持ちになれるものです。

これらかも、是非、大切にしたい行為だと思っている私です。

今日のガンディーの言葉「信仰することは、理屈を超えます。しかし、理屈は理屈に反対するものではありません。」「事実、人が居るだけ多くの宗教があります。しかし、自分の宗教の根元に達する時、事実、宗教は一つであることを見出すでしょう。」「真の宗教は、領土的な限界は知らない。」「信仰とは、不運に直面しても不動であることである。」「神が我々の心の中に秘められているならば、我々は悪しき考えを留まらせたり、悪しき行為をすることは出来ない。」

投稿者 jizai3 : 2013年10月 3日 13:17

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