小野寺重一 作品集

年度作品名(クリックして各作品をご覧ください。)
1998~2000●辰砂壺(3点セット) ●求煌 ●太古 ●豊穣 ●辰砂花器 ●ある決断
2001●壺中の天 ●回帰辰砂壺~決断実行そして再生~ ●飛沫 ●辰砂壺 ●分水嶺
2002●想 ●試行錯誤 ●赤富士辰砂壺 ●祈りの辰砂壺 ●変形辰砂壺 ●登高 ●回想
2003●雲海 ●寛容 ●恵沢 ●決断、そしてやすらぎ辰砂壺 ●再生 ●時間と空間 ●赤富士辰砂壺 映 ●蒼穹 ●辰砂花器・趣 ●辰砂鶴首 ●萌芽 ●漲溢

各社プレスリリース 作品等の各新聞社の評価記事がご覧になれます。


大崎タイムス 平成12年6月3日 「陶芸ギャラリー開設」

還暦を迎えた小野寺さんは、平成7年の夏、60歳を祝うドライブに出かけた際、宮崎町で陶芸に出会い奥深さに触れた。その後、町内の陶芸教室に入門。陶芸関係の本を読みあさり、燃えるような赤を陶器にまとわせる釉薬「辰砂釉」の存在を知った。10個窯に入れれば8個は失敗するという辰砂釉の難しさが、かえって夢中にさせた。
平成11年祖父の代から続いていた店を閉め、意気消沈していたところ、「陶光会全国陶芸展」の美術展で入選した自分の作品に勇気づけられて第2の人生を陶芸にかけることを誓った。
オープンしたギャラリーは閉店した農機具販売店を改装したものしたもの。般若心経の一節をとって「自在窯」と名づけた。
辰砂釉と地元、松山の土にこだわった作品には自分と支えてくれた京子さんの頭文字をとって「JK」の刻印を入れた。


河北新報 平成12年6月8日 「会社たたんで陶芸の道へ」

平成7年妻京子さんとドライブで寄った宮崎町陶芸の里で、初めて陶芸に挑戦した。その際思うように作品ができず、納得いかなかったのが始まりだった。
松山町公民館の陶芸教室に入会。ろくろや電気釜専門書を買い込み、独学で研究を重ねた。大物を焼くために灯油窯も自分で造った10年の石巻市美術展に初めて出品して入賞。他の美術展でも入賞や入選をするようになった。
10年に農業者の減少などで農業機械の売り上げが落ち、自主廃業。店舗建物を残すだけですべて整理した。
辰砂といううわぐすりの特徴の赤銅色にこだわる作風で陶光会陶芸展でも入選。
11年11月に松山町ふるさと歴史館で公民館主催の個展が開かれた。「展示室がじぶんの作品でいっぱいになっていたのに感激し、ギャラリーを開こうと思い立った」という


大崎タイムス 「新構造展で入賞果たす」

松山町の小野寺さんが製作した「回帰辰砂壺」が、このほど開かれた「第73回新構造展」で入選を果たした。
同年「第37回国際公募亜細亜現代美術展」、「第27回東北現代工芸美術展」入選
「回帰辰砂壺」
斜めにばっさり刻まれた裂け目のような切れ込みが特徴。松山町の法華三郎家が代々伝える日本刀の曲線美をイメージした作品で大胆なデザインと辰砂釉特有の赤い発色が高い評価を受けた。
一度形を作り上げた壺に自ら裂け目を入れ、再び、粘土で切れ込みを閉じ、窯に入れる。複雑な工程をあえて踏むことで作品に「再生を願う心」を閉じ込めたという。
「足元を見つめれば世の中の動きを感じ取ることができる。これからも地元松山にこだわって作品を造り続けていきたい」


河北新報 おおさき河北 フライデー 「松山は陶芸の適地」

還暦祝いにはじめたという陶芸が、たった4年間の間に様々な美術展で入賞、入選。ついにギャラリーまで設けた。
陶芸にのめりこんだ理由のひとつは、「松山で陶芸に適した土が採掘できる」。松山町はかつて瓦の生産が盛んな土地で、町内からは多賀城創建期初頭の瓦を焼いたと見られる窯を発見。瓦製造の必須条件を兼ね備えた土地柄から、かなり古くから松山で良質な瓦の製造が行われていた事は確かである。製造工程が同じ陶芸にとっても最適な地域といえる。
松山の土は耐火温度が一般の陶芸用の土より低いものの、他の土とブレンドすれば土のよさが生かせる作品に仕上がりやすい。
焼き上げた陶器はぽちぽち状の黒い点が付着することから鉄分を多く含んでいる。触ると土の粒子が荒く、ざらざら感がある。初めは黒いぽちぽち感がいやだったが素朴さがあっていいという評価を得て考え方を改めたという


産経新聞 紙上ギャラリー 平成13年8月21日 「土を太陽に変える情熱の窯炎」

60歳の誕生日に宮崎町の「陶芸の里」で初めて陶芸を体験。思うように土を扱うことができなかったことが始まりだった。
専門書を買いあさり、自宅の台所をアトリエにして作陶活動が始まる。3年後の10年正月には雪の中を4日かけて自らの手で灯油窯を造った
陶芸を始めて間もないころ、出かけた東北夢博覧会の韓国館で陶芸の老職人の実演を見る。当時独学で粘土を25センチくらいまでしか挽き上げられなかった小野寺さんはけりろくろで高く挽き上げる様子に釘付けになる。翌日も会場に現れ職人の技に見入った。陶芸への熱烈な思いが職人に伝わったのか、普段しまっておく道具を取り出し、それら一つ一つの使い方を何度も繰り返し実演してくれたそうだ。言葉こそ交わされなかったが技術のほとんどを本で習得した小野寺さんにとって2日間のやり取りから多くを学んだ。
松山で3代続いた農機具販売店の経営が農業の衰退と共に厳しくなって、やむなく自主廃業に。祖父の代から90年続いた会社を閉めた時、様々な苦悩に襲われたという。そんな時、公民館が小野寺さんの作ってきた作品の展示会を開催した。自分の作品でいっぱいになった会場は小野寺さんに大きな感動の嵐を呼んだ。
妻である京子さんの応援を受け、空き店舗をギャラリー兼作業場に、「自在窯&ギャラリー」を開く。
ロゴは夫婦の名前の頭文字をとってJとKをあしらったもの。
自在窯は般若心経の冒頭を。ギャラリーを一期一会の体験と出会いの場にしたいという思いから、そうした。
芸術は生活の中、家族の支えの中にあると実感。
会場に足を運べば赤い辰砂壺が小野寺さんの作品だとすぐ分かる。小野寺さんの魂の色である赤。互いを信じ、励ましあうことで数々の壁を乗り越えた夫妻。2人の生き方は家族の絆が壊れかけた現代社会に幸福の本当の意味を啓示しているようだ。改めて人間は一人では生きられないことを痛感する


河北新報 おおさき河北 平成14年1月16日

松山町在住の陶芸家小野寺重一さんは去年から刃物で切れ目を入れた壺やティーカップなどの作品をシリーズで制作している。
「鍛冶の伝統が残る松山の地域性を意識した」という。
事業の自主廃業したときの想いから「刀痕を入れることは、完成品をいったん壊す行為。壊してから生む。新しいものを表現したかった。」
強いメッセージが込められたこの作品は国際公募亜細亜現代美術展など国際的な美術展でも高く評価され、昨年12月に東京国際フォーラムで行われた「アートアカデミージャパン2001」でも注目を集めた。これまで大型の壺を中心とした作品がほとんどだったが、最近では愛好家からの要望で、湯飲みや、ティーカップなど気軽における壺も作り始めた。
「人生のつまづきも、壺などを見て癒されることがある」と言われて、陶器つくりに勇気を得た。今後も人生を楽しんで生きたいと笑顔で語った。


大崎タイムス 平成14年7月12日 「美術展で入選重ねる」

第74回新構造展(新構造社主催)
第58回現展(現代美術家協会主催)
第38回国際公募2002年亜細亜現代美術展
第32回全陶展(陶光会主催)各美術展で入選
今回は海外の人にも作品を鑑賞してほしいということがねらい
大きな作品だと乾燥するだけで1ヶ月ほどかかる
生命の躍動を感じさせる赤銅色は辰砂が作り出す小野寺さんの作風
松山の刀工の法華三郎をモチーフにしたものなど郷土にちなんだ作品もある
すべての作品に刻まれる「JK」の刻印は夫婦のイニシャルにちなんだもの。会社の廃業、老後の資金をなげうってのギャラリー開設、初めての美術展での入賞と様々な人生の岐路で常に重一さんを支え続けた京子さんへの感謝のしるしだ
9月にロシアのサンクトペテルブルクで開かれる「遷都300年祝賀国際殿堂展」、10月にイタリア、ベネチアでの「日伊芸術メラビリア」など海外での展示が相次ぐ。


大崎タイムス 平成15年4月12日 「小野寺重一氏を壮行 後援会がパーティー」

数々の国際展で受賞を重ねている松山町の陶芸家、小野寺重一さんの後援会は13日、同町次橋の松山会館で受賞記念パーティーを開く。この催しは、5月に出品する「北京国際博覧会」、同6月のモナコ「コートダジュール国際芸術祭」の壮行会もかねたものでもある。平成12年に「自在窯&ギャラリー」を開設している小野寺さんは、かつて瓦の名産地として知られる地元松山の土を用い、独創的な作品を世に送り出している。
今年、2月中国上海美術館で行われた中日美術作品交流会にも出品、「日中栄華褒章」を受章している。


大崎タイムス 平成16年8月4日 「町名が縁で交流 山形県松山町 中学生が大崎の松山訪問」

山形県庄内地方にある松山町立松山中学校の中学生22人が先月28日町名が縁で友好町盟約を結んでいる宮城県大崎市松山を訪れた。松山中学校(古内晴男校長)で再会行事が行われ、芋煮会を通じ交流を深め合った。
山形と宮城の松山町は同じ町名や城下町という歴史、自治体規模が似ていることから、昭和57年に友好町となった。児童生徒の相互ホームステイなどを行っている。中学校生徒の相互訪問は今年で23度目。
再会行事には、両校の生徒ら44人が参加。宮城県大崎市松山で生産されたみそやしょうゆ、一ノ蔵の日本酒を用いた、「特選芋煮鍋」を囲み、一年ぶりの再会を喜び合っていた。その後両生徒はふるさと歴史館と酒ミュージアムを訪れ、開催中の企画展「松山町の芸術家たち-山形栄一&小野寺重一展」を鑑賞。温もりあるメッセージが添えられた山形さんの版画や、深みのある朱色が印象深い小野寺さんの陶器に見入っていた。
来年の「大崎市」誕生を目指す宮城と同じく山形県松山町でも、酒田市を中心とする一市四町で法定協を設置し協議が進んでいる。山形県松山中の小林光教頭(51)は「自治体が形を変えても、根強く交流を続けたい」と話していた。


大崎タイムス 平成17年4月 国際平和美術展に出品

農機具店を営んでいた小野寺さんは、還暦を過ぎて心機一転、店を閉め陶芸家として生きる道を選択した。松山の粘土を用い、辰砂(しんしゃ)という釉薬が生み出す燃えるような赤さが、作風の特徴。法華三郎の日本刀など、地元をモチーフにした作品でも知られる。
「回帰辰砂壺」は平成13年春の作品。上から下へ刻んだ刀痕には、「自分の足下を見直し、陶芸家として生きる強い決意を込めた」という。同年6月の第73回新構造展では入選を果たした。
  7月8~11日に万博長久手会場で開かれる平和美術展(同実行委主催)は、「平和を愛する心」をテーマに、平成5年から国内外で開かれている。展示内容は、現代日本芸術家の陶工芸、日本画などの作品。9月末からは、展示会場をノルウェー・オスロに移し、10月まで開かれる。
  小野寺さんは昨年、脳梗塞で倒れた。約1ヶ月のリハビリ生活の中、陶芸家の原点である辰砂壺を通じ、自身の原点を見つめ直したという。
  闘病中、(壺は)゛生ある限り何度でも生き直せ”とメッセージをくれた。是非多くの人に見てほしい」とはなしていた。
→「回帰辰砂壺詳細